−人はなぜ自殺してはならないのか。

ってタイトルじゃなくて。


「なぜ自殺してはいけないのか」を、「なぜ人を殺してはいけないのか」でも使える説明“以外”で説明してください。(例:「家族・友人が悲しむ」「社会が成立しなくなる」などは、ナシとします)
説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。



とゆーのに沿っていく、、、のは面倒なので止め(ぽい)。
でもまあ、この文章を見たのがこれを書こうと思った原因です。
じゃなくて理由理由。;




マジですよね、この方(そっちかよ)。
基本的に、私はそーいうチープなのが好きなんで、例え話をするのですが。例えば異形のおにーさんおねーさんが、人間を喰うのならばまあそれを「悪」と呼んじゃあいけないよーな気がするんですよ。


てゆか私、豚さんに怒られても困るんですよ。
まだ鯨さんや鹿さんのほーが、意識の摺り合わせが可能というかなんというか、でも、豚さんに怒る権利がないかっていったらあると思うんですよ。
豚さんがいつか遠い未来、徒党を組んで襲ってきたら、殺されはしたくないですけど、それを「何故?!」とか間違っても思わないよーにしよーかと思ってますってどこのSFだ。なんのスペオペだ。
いや、差別はいけないと思いますので(なんの話だ)。


だからまあ、私は「よほどのことがない限り、人間が人間を殺す」のはなしと思ってますけれども、それを時に悪と呼びますけれども。
人間以外のものが人間を殺した時に。


それが例えば、嵐やらやら、地震やら炎やら、虎やら牛やら豚やらやら、まあ病気なんかでも。それは別に悪とは呼びませんよ。多分わりと誰も。
ファンタジーの中の異種族とはわけが違いますよ。
言葉も通じないし、概念も共有してねーし。
(まあ、ファンタジーの中でも私はその価値観をそのまんま持ってってしまうわけですが)(そんなことで怒るなよ、みたいな。)


喰うわけでなくともです。




だから、「人は人を殺す」になるわけですよ。まず。
じゃあまず命の尊厳ってものは、絶対じゃあないってことですよね。


それは、まあ、要するに、私が、同じ、人間という種族に殺される段になってから発生する概念だということになるんじゃないのかなと。
で、それはなんていうのかなぁ、妥当という気はします。
よほど切羽詰ってない限り、殺されてしまったら、私はものすごく不満ですよ、まあしょうがないこともあるかなーと思ってしまう辺りがヲタですけども(メタともゆう)、絶対に許せないってぇ人もあるでしょう。
無理はないですよね。
いや、自分はそーではないって人も、そこまでは理解できるものだと思うんですよ、特に理由がなくても。


じゃあ、湧いて出るのはその間なんですねー。


とそこまではオーケーでしょうか。


そして案外と、同じ社会基盤がない場合。
それは必ずしも「人間」ではなくて、豚さんと「人間」の間として認知されるよーな気がするのですが、違うかな。これは最近は、まあそーでもないので自信はありませんが、少なくとも古代においてはそんな感じですよ。
そして、命よりもルールが重いことが往々にしてある。




てゆか、「尊厳」ってルールじゃないのかな、と。
思わないでもないわけです。
条件によって出てきたり引っ込んだり、いまいち薄れたりするのって、あんまり絶対的という気はしないんですよね。


でも、己の命は大事、というのは生命の本能な気もするよね。
利己的な遺伝子」なんてぇ近代? あれはもう現代だってか、なんてぇ概念を持ち出すまでもなく、条件によって出てきたり引っ込んだり、いまいち薄れたりとかは少なくともしないよーな気がするし。


じゃあそもそも自殺ってなんだろうかね。
なんとなく、「尊厳」と「本能」の隙間の行動なのではないのという気がするのですよ。いや自分でなに言ってんだかよくわかんないけども。


続きマス。