『ウルトラマンSTORY0(2』

『ウルトラマンSTORY0(2』
 真船一雄講談社


まあ言われてみれば確かに紛うことなき元凶なわけですが。


ディファレーター因子とやらを組み込まれたとはいえ、もともと≪プラズマ太陽≫を打ち上げなければ宇宙に怪獣が暴走するなんてぇことにはならなかったわけですよ。ところでホント、この人(?たちってもとの種族名なんていうの??
言われてみればっていうか。
その責任を感じてるとは到底思えない!
てな感じだったんですが、いや現実の読者さんの意見なんですが、正直、漫画で責任を感じてるかどうかを見分けるのは超難解だよなぁと今思ってしまいました(書きながら考えるなよ毎度毎度)。


ただ、たまに違和感を感じるのはプラズマ太陽に拘るところかなぁ。
ディファレーター因子ってのを込みなわけですやん、すでに。
(今の超常的な体を維持するのには必要なわけですし。)
セブンさんは、落ちた星で「滅びを受け入れようとしている人たち」なんてことを言って、なんとしてでも生き延びようとした自分らと比べているんですが。




最初から、そんな奇麗な種族としては描かれていない?
強い力を持って、「義務を抱えて」(ここは“責任”であるべきだ! という内容だったんですよ、上の方)(まあ一理?)余所の星に行って、そこで成長するっていうのかなぁ。
やっぱり彼らって、極端に強い体なわけじゃないですか。


だから、「そう」振舞わなきゃならないって少しずつなっていったというか、うーん、神格化されるような存在になる前というか。
今、ほとんど精神が人間でしかないっていうの、身勝手な存在でしかないってそう考えていくとそーんな許し難いことかな? だってそれこそ人間だったんじゃないこの間まで。


一番大事なものは、これから手に入れていくんじゃないのかなぁ。




この巻っていうか、セブンさんのエピソードでは。
寒い地域で共に暮らすのに最適だという体温の高い(その手の設定がもっとも嬉しい、どこフェチって言うべきかしら?)バッファローたちと伝説になっているその王・ミクラス
ミクラスが眠る丘は、彼の体温で雪が積もらないんだよー、と子どもたちが指差すシーンなんかが好だなぁ。
(いや昔っからずっとそういう趣味なんですが、よく考えんでもなんで特撮見てるんだろうね私;)(一番好きな本は「木を植えた男」。)


そしてそのバッファローを狙ってやってくる侵略者。


それにブーメラン一つで立ち向かう、見ず知らずのセブンさんを助けてくれた族長の姿に、「倒れても諦めずに立ち向かう」という教訓をもらって、変身も出来ないのに侵略者に立ち向かうセブンさん。


うん、大抵の世界にウルトラマンはいない。
バッファローに乗って牧畜で暮らし、木製のブーメランを振り回す彼らに多分宇宙を渡ってくる侵略者に勝てる能力はない。一機落としてたけど、その代償にもっとも信頼する族長を失ったわけだ。
でも戦う、諦めない。




んで、セブンさんが志を継ぐ。
ウルトラマンは諦めない限り、物理的に光がある限り、どこまででも戦える。星の助けを借り、人々の声援を受け、どうにもならなくなった時にミクラスが起きてくる。丘が熱で泡立って蒸発して弾け飛ぶ。
そしてセブンさんに手を貸し、光を遮る雲を吹き飛ばす。


ウルトラマンってのは、すげーシンプルな話のために作られた設定だと思う。実はこの手の話は好きじゃなかったりする。w
声援だの、生きる希望だの、光だの。奇跡だの。
「諦めるな」というメッセージにしても、そんなことで片付けられてしまうのが、今まで積み立てた状況を無にしてしまうみたいで、結局曖昧な「祈り」で全てが片付けられてしまっているみたいで、子ども心に好きじゃなかった。


でも、そーいう存在であるのなら仕方がない。
全ての希望が途絶えて、他になくて。
そんなところにウルトラマンが表われる。


そんな展開であるのならばいくらなんでも仕方がない(偉そうに)。
現実なら泣き言も甘えもあるだろうけれど、現実なら、ウルトラマンが必要なことって多分ほとんどないんだろうし。その時にどーしてもウルトラマンはいないんだけど。


けどまあ、諦めないことくらいなら誰にでも出来る。
ヒーロー物だろうがそうでなかろうが、そういう話ってなんか好きだ、現実から逃げてると言われようが。まあホラ、同じ物を見てる人たちがいるって知ってるからねぇ、まあその程度でいいじゃん。