『ハムナプトラ―失われた砂漠の都』

売りはハゲミイラでしょーか?

『ハムナプトラ 失われた砂漠の都』
監督:スティーブン・ソマーズ
出演:ブレンダン・フレイザーレイチェル・ワイズ


レイチェル・ワイズさんはがちで覚えましたものの。
(海外女優さんだと、三人目くらいかなー?)


見応えとか言われたら、鼻で笑うと思うんですよ、しかも見てる人が嫌な気分になるよーな感じのソレじゃなくて「ふっふっふー」みたいな。
まあ、鼻で笑うところも含めて一つの価値じゃねぇの?
肩の凝らない娯楽作とゆーか、前にも書いたけど『パイレーツ・オブ・カリビアン』なんかと同系統っつーか。あっちはまだ、立場とか身分とかしがらみとか、案外抜けられないものを背負ってそれでも暴れるっつー前提があったけども(その暴走っぷりはやっぱり娯楽の域に達するのだが)。


こっちにはそんな背景もない。
あるとしたら、ヒロインのエジプトに惹かれる理由とか(当人も言ってたけど、相応しいよーなお人じゃねぇんだよね)、死者の都≪ハムナプトラ≫を見守る若き砂漠の族長くらいしかないんだけれども。
そいつらが画面の華として存在(後者は女性にのみ!)(ヒロインは女が見ても結構いいぞ、可愛いぞっ)するもんだからー、もうそりゃ、完全に娯楽だろう。


いいぞ、天晴れ!


気になるところを挙げるとしたら、案外人が死ぬ辺りだろーかねぇ。
しかしなぁ、まあ、「呪い」をテーマにしている以上それは避けがたく、てゆかいちいちごたごた言ってんじゃねぇよ、というよーな程度のものだろうか。
(多分私が感じたのも死人が出ない『パイレーツ』と比べたせいだろうし。)
むしろ、死への悔恨を引き摺り。
犠牲を最小限にしようとしたら観念を避けるのは難しいだろうね。




とりあえずエジプトの神官っぽいおっちゃんが大昔。
王の愛人とデキちまったら見付かって、王を殺しちまったもんで、捕まって、生きたまま、つーか永遠に生き続ける呪いを掛けられて人間を喰う虫と一緒にお棺の中に閉じ込められましたー。
千年くらい達つと悪鬼として蘇るそーですよ。
そいでもって、10の災いを起こして世界を破滅に導くそーで。


えー? ちょい待てや。


いやマジで上の筋です、女が自殺しちまったんで、その復讐を誓ってとか(それなら即効性にするよなぁ!)そんなじゃなく、王の側近とかそーいう人らがやったんですけどもね。意味わからんし。なんでやねん。




その人が≪ハムナプトラ≫っつー伝説の都の場所に置かれ。
そこに財宝が眠る、みたいな話とセットになって噂が広まってるという設定。レイチェル・ワイズさんが駄目兄と、処刑場から拾った無頼漢を引きつれ(いい男と思う)。


他にその元軍人男のオカマ系同僚だとか、彼を案内として雇った、物考えてないアメリカ人御一行+エジプト学者だとかが、偶然同時期にそこを目指します。


あと、その地を守るベドウィン(でいい?)の族長。
口で言っても通じない相手だからか、結構荒っぽい手なんかも使いますな。
族長は明らかに無駄にいい男です。




で、まああとは、わりとジェットコースター・ストーリー。
がががががっ、と事態が進展していって、レイチェルさん(役名ではない)が半ミイラ男に昔の恋人を思い出させてたり。恋人を生き返らせるための生け贄にされそーになったり。
そもそもミイラ男が完全体になるために、アメリカ人御一行がなんか吸われてたり。
天変地異が起こってたり、街の人らが操られて一斉に襲い掛かってきたりなんてするのですが全てほとんど瑣末ごと、場当たり的に事態にぶち当たって、なんとか力技で先に進んで後は顧みない。


正しいんじゃないかと思うんですよね。
だって正しいじゃん、「それが現実だったら」確かに大事で、映画の中では現実なはずなんだけれども、でも観客はソレを共有してねーですわけじゃん?
だったら観客並みの乾いた態度を通すのが、娯楽映画として正しいと思う。
正直、空軍の老パイロットまで切り捨てられたのは悲しかったけどな。


まあ要するに、往年の神官野郎は、恋人が死んでから生き返らせるのに全力を注いだり禁忌を犯したりするんではなくて、お互いが生きている間に手に手を取って逃げるのにそのご自慢の能力を使えばよかったんではないかと思いました。まる。
世界の危機のわりには、恋人と添い遂げたいっつー意思しかないよっ。


いやまあ別に、いーんですけれどもねー。
ヒロイン可愛かったっス。
彼女の着替えには説得力があってー、やっぱりその辺が(もじもじ)。
兄も主人公男も、微妙にいい男だったよな。
うん、実に楽しかった。


もちろん、めでたしめでたしですともさ(生存者四名だけどナー)。