『フライ,ダディ,フライ』

泣かないでー。

『フライ,ダディ,フライ』
監督:成島出
出演:岡田准一堤真一


岡田准一堤真一では、画面が奇麗過ぎるというレビューがあって。
「そう?」と首を傾げてしまったのですけれども、どうもこの原作小説は連作のよーなのですよ(そしてどうも本来は泥臭い)。でもこの話の中では、なんだったかなぁ、中年サラリーマンに「勝つ方法」を教える子は、見た目じゃなくて中身も端正だったし。
最初はなにをしているのかな、と思ったあの踊りも。
ラストに近くなるにつれてどんどんキレイになりました。


現実の持つ、生臭さがないっつったらその通りで。


良い面ばかりが強調して抜き出してあって、そーでないところは全部コミカルで「無関係」でした、悪意も善意も最初から存在しないのね(やっかみくらいはあるけども)。
別に非難してるんじゃなくて。
そーいう映画なんですよね、最初から最後まで。




この話は、娘に暴力を振るったボクシングの全国大会優勝者の高校生に、その復讐をしよーとしたお父さんが間抜けにも学校を間違え、なんでかその辺の事情をほとんど全て飲み込んだ愉快な高校生グループに捕まり。
「勝つための方法」を一人の在日朝鮮人の男の子から教わって。
最終的に勝つー、という話です。


リアリティがあるかないかっていったら。
これは設定をズラしていけばいいだけです、それが目的なら、暴力を振るった相手を弱くすればいいし、最初からお父さんに身体能力を与えればいい。
そうでないのならば、弱いからこそカタルシスがあるというのならば。
もっと現実的なトレーニングや戦法にすればいい。
(拳で一対一じゃなきゃ、なんとかなるでしょ、要するに。)


でも期間はたったの一月、夏休みの間。
その対決に、それに勝ったお父さんのどこに現実味があったのかといえばもう、背負ったものの重みの違いと、相手の高校生には実際、勝っても負けてもなんのメリットもデメリットもなかったというくらいでしょうか。
それは案外、笑い飛ばせない程度には見えましたが。
でもそもそも、そーいうところに感動する映画なのかな?




なんか私には、とてもそうは見えなくて。
それまではお父さんを信じて、頼り切って安心して手を伸ばした娘さんが、一度の父親の拒絶で絶望してしまったとか(暴力は当人になんの責任もないことだったからね)。
「アンタの勇気が本物なら、闘わなくていいんだ」
って言った、男の子のほーが主軸と思うんだ。


なんだったら対決して勝つなんて結論でなくても良かったんじゃないか。
そーでなきゃ、エンターテイメントとは言いがたいのかもしれないけども。
この話に本当に相応しいのはこの結末だったのかな、とは少しだけ思う。




「父親」というテーマが。


なんだか少し進んでから見え初めてきて、腕力なぞでははるかに強いあの子が、なんでか助けられる側になって、娘さんを救うのも、別に報復が叶ったからではなくて父親の愛が真実だと証明するからというだけで。
でもそんな中で、お母さんの働く男の子の家は暗いまま。
堤さん(役名わかんない...orz)に貰った小石が、ある時から、同じように帰宅の儀式を繰り返す彼の生活の中に含まれて。


でも「お父さん」が勝ったあと。
ずっと我慢してた糸が切れたみたいに全力で抱きついても、そのあと一緒に駆け出しても、でもその「お父さん」はやっぱり飛んでいってしまって、やっぱり彼の手の中にたった一つの小石しか残らない。
私がこの話を作るなら、彼らはもう生涯会わないよーな気がします。
それが自然に思えてならないんだ。




要するに。
堤さんみたいなお父さんはきっといないんですよ、一番辛い娘の手を振り払ってしまって、それを心の底から悔いる人はいても。そのために全国大会の勝者に素手で挑んだり、出世と引き換えに会社を休む人なんていない。
もう少し賢くてもう少し時間を掛けて。
なんとか告発できる道を、娘をゆっくり癒す道を選ぶでしょう。
人として優れてる優れていないという話じゃなくて。


でもそれじゃあ、そんな馬鹿な人じゃあなければ。
朴ちゃん(調べた;)を救ったり、頭撫でてくれはしない。
でもそれが、「現実」なんだと思います。こんな頭の悪い偶然なんて多分ない。だから最初から最後までなんか寂しかったです。
朴ちゃんはこの世のどっかにいるよーな気がするんだけどね。
誰のために作られた映画だったんでしょうねこれは。