DVDれんたるさいと利用計画。其の二七

わかりにくい映画、、、もとい、深い意味のある映画、とゆーよーな話をとある人としていたことがあるんですが。
なんていうのかなぁ。


「それに一体、なんの意味があるのだろう」


というような言い回しをたまに見ます。
戦後、喰うや喰わずだった若者らが、なんとかかつかつでも食べていけるよーになって、友人を亡くして乗り越えて、という映画を見て。
「なにを言いたいのだかわからない」というような感想だけを書き、特に若い人間には絶対にお勧め出来ない、という断言をしていたのを見た時はなんとなく悲しかったです(>『この世の外へ クラブ進駐軍』です)(「皆可愛い、時代は暗いけどすごく楽しい映画でした」というすごくシンプルなレビューに惹かれて見たので尚更)。自分の感性には合わなかった、とは全く言ってくれない。
多分あれ、実際にいたんだろーと思うんですよね。ああいう人ら。
なんでそこまでして、意味を求めないといけないのかな。




考え深いよーに見せかけて馬鹿映画とか。
実は痴話喧嘩とか。
それに対し、騙された、と不快感を見せてる場合はいいんですよ、なんだよ! 宣伝でらため言いやがってー、とかそんなだったら納得もいきますよ。


何故に目的に気付かんと稚拙という判断下すかな。
馬鹿映画って、見たらわかるんですよ。なんも考えなきゃちゃんと。
意図されたものと、意図せず手が廻ってないものは簡単に判別がつく。
多分、先入観のせーだと思うんですよねぇ、、、てゆか、面倒くさい仕掛けを使って「馬鹿映画」を目指しているとはどうも考えもしてないっていうか。コメディは存在するけれども、格が下っていうか。


悩みとか、苦しみこそが高尚、というかなぁ。
うん、まー、悩んでる人は好きですよ。
でもなんで悩んでいる人が美しいと私たちが思うのかというと、対立する利害のどちらも救いたいから悩むしかない。幸福になりきれない現実に、悲しんで少しでも「変えよう」としてるから美しいんじゃないですか?


苦しみ、悩みそのものを目的として。
それ自体に陶酔するのは、若者にありがちなのかもしれないけど、それを許せないとは言いたくないけれども、でも、私は愚かだと思うんです。


苦しみそのものが目的なら、宗教でもやればいい。
それならば理解出来ますよ、でもそれだって、最終的に「真理に気付く」という喜びを得るためにやっているのだから、永遠に苦しむわけじゃない。
命は尽きるかもしれないけど、なにもそこに留まり続けたいわけじゃない。




たかが、物語りだから、そういう価値観は罪ではないんですよ。
でも、なんていうのか、それを好きになれませんし。
なるべくならいなくなって欲しいし、少なくなって欲しい。


苦悩が嫌だってんじゃないです、でもこんなに当り前になくてはならないものなのに、なんで現実のものじゃなくて架空のものを求めるのかな。
そのほうが、「簡単に覆せるから」?


苦悩を描いてこそ芸術だ。


のかもしれないけれども、だったらその「苦悩」はリアリティがあって欲しいんです。この世にありえない適当にでっち上げられた苦悩ならば、耐えられて当然じゃないですか、そんなもの見てなにが楽しいんですか。
楽しみや、ありえない理想ならば、描くだけでも価値があるでしょう。
どんなに稚拙でも、それはわかりますよ。だって必要ですもの。


苦悩そのものが目的なわけないんですよね。
なら、多分、そーいってる人たちも、「苦悩に耐える、、、自分を投影できるキャラクタ」にうっとりしてるだけなんでしょうね。
そのキャラクタらに意味があって欲しい。
賛美されてて欲しい。
世界をも変えて欲しい。
途方もなく優れていて欲しい。
苦難を乗り越え、優越の立場に立っていて欲しい。




なら、はっきりそう言えばいいのに。
物語りの中に、ありえない己への賛美を求めるのは、別に悪でも罪でもなんでもないよーな気がするんですよね。
変に哲学ぶってるから気持ちが悪いんであってさ。
まー、私は生身で褒められるほうが好きですけどね。


第二七回レンタル記録:
 『オペレッタ狸御殿
 『ヴァンパイアホスト−夜型愛人専門店』Vol.2