『この世の外へ クラブ進駐軍』

それでも楽しいんだ。

『この世の外へ クラブ進駐軍』
監督・脚本:阪本順治
出演:萩原聖人オダギリジョー
  /MITCH


ビルマの奥地で、戦争が終わったというビラが降ってきて。
そのビラを信ずることは出来なかったけれど、その飛行機が流していた音楽のことは信じられたのだという台詞が少しあとのほうで出てきます。


そーだよなぁ、騙すんならもう少しマシ(ry


とあるバンドの話で、とある時代の話です。
戦後で、でもフツーのにーちゃんたちです、「アカ」とか言われちゃってるお兄さんがいる人が一人いるけど、別に巻き込まれた様子もないし(そんな時代でもない)(てか、そもそも取り締まらなきゃなんないのかよくわからない)。


にーちゃんたちは、とある駐留軍にあるクラブで時々雇われて演奏してます。
てゆか、バンドが描かれたのは、「ドラムが出来ねぇ」オダギリ君と(役名覚えろよ)、「そこらで寝てた」トランペットにーちゃんが入った時からですが。役名はジムさんとラッセルさんとあきらさん(字もわからないッ)しかわかりませんっ。
良い話でした。




なんつーのかなぁ、これ、このまんまの時代に作って。
こーんなになにもかも、全て包みこむよーに肯定できたかっつぅと、稀代の馬鹿か予知能力者でもない限り無理じゃないですか。たとえば今、ここにある全ての要素を、とりあえず悪い部分は認めつつ、なにもかも冷静に肯定できますかって言われたら、私には出来ません。
そー出来ない未熟な存在であることを恥ずかしいとも思いません。


でも、半世紀たって、そっから振り返ったら、出来る人は出来るかなぁと。
時代は戦後です。


クラブには日本で弟を亡くしたラッセルさん(クラリネットだっけ? すげー上手い)とかいるし、ジムさんは「笑えー」と似合わん日本人に無理言うし。
私ゃまた、オダギリ君が妙な誘いでも掛けられてんのかと思ってどきどきしちまったよ(や、なんか前科が)。あ、ジムさんは駐留軍のトップっぽいです。
その基地のこと、「俺の家」って言ってます。
伊達じゃありません、愛してます。ちゃんと。




クラリネットにーちゃんは、ラッセルさんにさくっと負かされるわ。
あきらさんは生き別れた弟を探すために、バンドから抜けてしまうわ。
トランペットの人は薬漬けになってるわ。
オダギリ君には被爆した両親がいて、金を送ってるわ。


ラッセルさんは、夜な夜な日本兵を殺す夢を見て。
己の手を鏡にかざして泣いています(泣いてないけどね)。


私は、この人の話が一番好きです。
自分の中の憎悪を恥じているところも、音楽を通じて日本人バンドのメンバーとぶつかって、それでねぇ、その憎悪をねぇ、なんだか自分の中で消し去ったというより、別のもので包みこんで癒したみたいに見えたんだよね。
弟さんのこと忘れたんじゃなくて。
敵のハズの日本人の友人が出来て、愛おしくなったっていう。
新しく上から感情を塗り重ねていくという、そーいう構造。


――だから、この世の外へ
アナタがいれば怖くない、というか、まあ、終盤に出てくる曲の名前です。




そーして、一番好きなシーンは、出てくる可愛い女の子(オダギリ君と仲良くなるよっ)(一番新参なのに一人だけズルいよッ!)に絡んでた、「パンパン」とか言われるアメリカ兵専門の娼婦さんたちがその子のこと、まあ結果的にですけど助けてくれたところかなぁと。
あー、上手く表現出来ない。。。
非難されてるんですけど、見下されてるんですけど、強いんですよね。
ううう、胡散臭い...lllorz


煙草持って、お店の話して、「看板ネオンにしたいねぇ」どうせならって。
いいシーンだなぁ、と。




傍観者なのかなぁ、と思うんですよね、この映画。
どの誰でもない、強いて言えばドラムのオダギリ君がまだ近いかなっていう、そーいう別の視点が存在している(彼って、どんな生々しくても傍観者だよね)。


「なんで音楽?」ていう映画ではないですよ。
ジャズはご飯を食べるためのドラムの撥みたいなものでいいんですよね。


そーいうツールを糧に、生きていく人たちの話です。
ご飯や家族のために、敵だった国の音楽を演奏してへらへらと笑えって言われて、喋らなきゃ人間じゃないって言われてしまって。
それが彼らのそれしかない生き方ですが。
それそのものがすでに希望だっていう多分そーいう話です。