私たちは信じている、言葉のチカラを。

朝日新聞のチラシが、壁に張り付いていた。
写真は多分、悲劇のようだった、あんまり感心した言い回しだとは思えなかった、何枚かあったみたいで、その日はちょうどそのチラシばかりで二つの車両を横切る時にそれをちらちら眺めていた。


座りが悪いと、どなたかが書いておられた。
ああ、違った「居心地が悪い」か、私もなんとなく釈然としなかった。
何度かそのチラシのほうを振り向いていた。


簡単に言えば、なにを言い出そうとしたのか曖昧で。
結論を出さずに放り投げたよーな感じだった。
そもそも朝日新聞というのはこのところ、あまり評判がよろしくない、というより評判の良かった頃の栄光を引き摺って生きているよーなイメージがある。あながち私個人のものでもなくて余所の新聞社でも見掛ける。
もちろんどちらかだけならば大したことはないが。
むしろジャーナリズムから程遠い人間と、真っ只中の人間とが同時に思っているのならばそうは見当外れでもないだろう。




私は、悲劇の写真にはなにも感じない性質だ。
爆発して散った耳や指や、内腑の写真を見ても平気だった。
まあ、頭がシャッターで潰れていた写真は直視できなかったが、真緑色の沼を見た時も、そもそも近所の川が紫色で泡立っていても、脳をむき出しにされた猿の写真を見た時も、私はあまり心を動かさなかった。
なんだか、そーするのが間違っているような気がしたということもある。


最初に見た「グロテスク」な写真は、理科の教科書の開腹されたカエルのカラー写真だろうか、見ることが出来なかった、何度も見ようとして、自分の、、、なんていうんだろう、「心の強さ」みたいなものを試そうとした。
よくわかりませんがね、似たようなことは今でもある。
そーだなぁ、この世で起こっていることならば、私が目を逸らしても現実が変わらないのならば、私はなるべく直視をしたいなというふうに思っているのかもしれない。


といったら、キレイ言すぎますけどもぉ。
でもそもそも、そこに写った「死」なり「悲劇」などになにかを感じないのはそういう言い回しでは説明がつかない。




私は、ソレが珍しくないことを知っているからなのかもしれない。
なんていうのか、小さい頃から部屋の中には虫の死骸が山となっていたし、排気口には蝙蝠がいた、教室の隅にからからに干からびた死骸が鉢植えの中に溜めてあったり。
ハラワタを散らしたカエルが雨に晒されて白くなっていた。
指先ほどのカエルはまとめて死んでいたこともあった。


人間の姿をしていたら、私はやっぱりそれを特別だと思うんだけれども、私はそれが珍しくないことを「知識」として知っている。
だから写真は特別ではないと思ってしまう。


けれど、国のどうしようもない重なりが引き裂いた悲劇を、言葉で告げられるよりも写真のほうがわかりやすい、と誰かが言ったらそれは真実なのだとも思う。
私は、あんまり言うなと言われたけれど、人より頭がいいので。
自分がすぐにわかることを、人がわからないことはあるもので。
上手く伝えることというのに悩んでみたりすることもある。




そーいうことかな、とつらつら考えて、今思ってみる。
写真は結論で、フィルムはどこか一部の空間でしかないし、永遠にそのフィルムに付き合うわけにはいかないし、その場にいて経験したことでさえ、同時に起こったことはわからない。
トップにでん、と腰掛けて鳥瞰しているというつもりでも、末端の気持ちはわからない。


フィルムを編集するのだとしたら、それは言葉に似ているのだと私は思う。
それ以外にも、音で表現するのか、二進数で表現するのか、文字で表現するのかは違うだろうし、それぞれの意味も違うんだろうけれども。


そもそもそんなにまでして、なにを知らなければならないのか、というのだってわからない。私にも興味がないことが山のようにある。
かなり平然とそーいうものを切り捨てる。忘れる。
人にだってそれぞれあるだろう、それを忘れて、己が知りたいことを押し付けるのも自由かもしれないけれど、そうしたところでなにか得るところはないように思う。


なんのために、なにを伝えるというのかまずそれもよくわからない。
悲劇を避けてなんにもない、と言う人が愚かだと思うわけでもない。
確固とした信念でもってそれをするのならば、それが悪いとは思えない。


それでも喋り続けるのだとする。
たまに間違える。たまに嫌な目にあう。たまに誰かを不快にする。
たまに後で自分自身が不快な思いをする。
それでもあんまり他に伝達手段がないもので、そうしてなにかを受け取るか発信するかしか人生に思いつくことがないもので。なにせ人間なもので。
私は多分言葉を信じているほーなのではないかと思います。
つか、極めた宗教人以外はかなりの割合でそーなんかもしれませんが単にー。
てか、瞑想も自問自答なんかもね。