スペシャル、総集編第三部「愛しき友よ」



えーと、近藤勇さんと、えーとえーと、、、土方歳三さん(つじ、じゃねぇってば;)は、歴史上でもラブラブなのですか、それとも司馬遼太郎サンがそこにやったら拘ったんですか、いやたまにあの人はそーいうことをしますけども!
新撰組血風録』ともどもそんな描写だったんで...orzなあおい
歴史観を巻き込むミーハー視点て、素敵だと思います。
(いや腐女子的な意味合いでなくて)(違うってば。)


ていうか、「トシ」さんは確かに我欲のためには動きませんけどもー。
親友のためってのはどうなんでしょうか、人間としての信義的に。


いやもうなんか、土方さんのせーで≪新選組≫の寿命が縮まったよーな気がしてなりません、しかも「かっちゃん」実際にそんなこと望んでなかったよーな気がするっちゅーかなんちゅーか。
ところで話はすっ飛ぶんですけども、近藤勇、でどうして「かっちゃん」なのだかついに最後までわからずじまいでした、まあいいか。。。
なんか読み方間違えてるのかなァ。




でもまあ、ホラ。
土方さんが小細工を弄さなくても、焦らなくても彼らは緩やかな滅亡への道を歩んだでしょうし、もしかしたら、必要とされる時までに組織としての体裁を、実際に整えていなかったかもしれないくらいで。


総集編では描かれていませんでしたが、確かに彼の行動には焦りがあって、それがぽつぽつと悲劇を生みながら破滅へと近づいていくようにも見えるけれども。
それでもなお、実際に焦らなくてはならないような時代でもあったのではないのかなと。追い立てられて、急き立てられて。
もしかしたら第二部で人柱のよーになった芹沢さんなんかだって、そーいうものに追い立てられていた人なのかもしれなくて、それは隊士も組も、いや国自体も結局、そーなんかもしれません。




欠けて欠けて欠けていき続けるシーンに、感情移入することは出来ませんでした、まあ説明すらないことも多かったのですが。人死になのだろうという認識はありますものの。
大雑把にそういう時代なのだという空気くらいは感じますものの。
せいぜいがとこ沖田さんが「羨ましい」と言ったひどく若い隊士だとか。
近藤さんの処刑に武士でもないのに踏み込もうとした捨助さん(字ぃ正しいかしら;)が死んだ時くらいで。


あとは、治らない病気になって、一番早く死ぬのだと思っていた沖田さんの、皆の死を泣くところとか。そんなところにも、名を上げようと踏み込んでくる輩がいるのですけれども(そして巻き込まれて女の子が一人死んでしまったりするし)。


ほとんどが死ぬ、つー結末は決まっていたことで。
そこで近藤さん、ていう新選組の局長が死ぬことも、多少歴史に詳しいか興味が出て調べてしまえばわかることで、要するにドラマを見続けることでその「死」に向かって着々と近づいていくよーな話であったのですが。




新選組に興味がなくて、大河もほとんど見ない私には彼らが実際になにを目的として(我欲のレベルであっても)、戦っているのかがよく飲み込めなくて。
少なくともソレがなんであっても、ほぼ多分、手に入れることなく散っていったのでしょうけれど。ひどく若いままで。


そもそも新選組がなんで有名なのかわからないし。


それに似たような組織は他にもあったというし、短い期間だけ駆け抜けるよーに生きて散って、私なんぞにはなにが残ったのかもわからないし。
なにも残ってないよーな気もするし。




作り物ですから「人死に」ではないものの。
人が死ぬ、というラストのために一年作り続けて、で結末を変えるなんてことにはせずにやっぱり処刑されて死んでしまうわけなのですけれど。
近藤勇」さんは。


うんまあ、良かったんではないかと思います。


本当に、あの処刑シーン、刑場に向かう顔はなんだか、どーいう意味でそうなのかはわかりませんけれど良かったです(ここでビデオが『女王蜂』を見るために止められるなどというコトになるわけですがー;)(あはは)。


じーさんになるまで、武士になれない武士として、多摩の百姓として(なにが悪い!)(いやそーいう話でなくー)、生きていったら幸せだったろうかというとねぇ。
それでも虫けらみたいに扱われて、とっとと死んでたかもしれないしな。




悔しかった、のかなぁ。彼らって。
見返してやりたいというよりももう少し切実に、自分はここに存在してるんだよと言いたかったのかなぁ。とか。
まあ、これも一つの解釈ですね。
(しかし続篇撮れてるのかなぁ;)(まだ確認取れてません...orz)