「すばらしい新世界」

すばらしい新世界 (中公文庫)

すばらしい新世界 (中公文庫)

≪密林.com≫


簡単に言うと、チベットに風車を作りに行くという話で。


真っ当な人であるのならば、当然に起こりうる文化の違いからくるすれ違いとか、ボランティア団体→妻(NPOの有償職員、相場より安いお給料らしーですよ)→夫(そこそこの規模の会社人、技術屋)という流れにおいても、考えなきゃならんこともありますし。




例えば、日本で職を全うしてからチベットに骨を埋める覚悟で、身一つで飛び出して行っちゃって、なんもかんも自分でやるし(しかも出来る)、つーおじーちゃんがどんなに偉くとも「かくあるべし」なんていうとちょっと息苦しくなりますわ。
重すぎる。
当人の意思だからいいんでしょう、あくまでそれは。


林太郎サンは、ある意味で最もそこから遠い立場かもしれない(関る中ではね)。
彼は、確かにがつがつの金儲けではないものの、それでもやっぱり採算を考えてその土地に行く、会社には家族ごと養ってもらっているし、悪くない、ていうか度量の広いいい上司もいるし。
今まで大きな風車ばかりを作っていたのだが。


チベットの奥地に見合うのは、小さな風車だ、もちろん。
とりあえず要求によると灌漑に使えれば良いのだということだ、設置はともかくとして、簡単な修理くらいは当地の人間にやってもらって欲しい。風は方向はばらばらだが風量はそこそこ安定している、風車は解体して運ぶが長い道程なので軽いに越したことはない。
止まったあと、最初を廻す人力は期待していいらしい。
機能美を追求していったら、美しい風車になった。


彼の息子とそれを模型にして組み立てたりもする。


奥さんには離婚歴があるし、息子は一度学校を追い出されてしまっている。
まあそんなことはいいのだが。
奥さんはNPOの仕事から、もう少しお金になるよーな具体的な省エネ(どのくらい電気を使ったのかを見せる)機械とやらに関るよーになって。
なんなら「貴方くらい養えるかも」と笑う。




風車のことはこの奥さんが話を持ってきて、彼女はそもそも昔、チベット密教を大学のゼミでやっていたそうなのだ。林太郎サンも少しそれについて彼女と語ったこともある。
チベットの土地に行くと、明らかにそれは。
宗教は当り前に必要なシロモノだったりする。
生きていく上で、どー足掻いてもなくてはならないもの。


鈍い鈍い、と思っていた林太郎サンの審美眼ですら一瞬で夢中になった壁画を、ああ、どこかに、人の眼に触れるところに、こんな奥地に埋もれさすのは忍びない。
などと思ってはっと、正気に返る。
その土地の、純粋な信仰の中にないとあまりそれは意味がないのだ。
どころか、その本当の美を知るには、多分きっと、その土地に根付いて長い年月を過ごさなくてはならないのだろうと思ったりもする。




林太郎サンは、誠実な人なのですよ。
てめぇの目で見て、納得が行かなければ納得が行かないと保留して、奥さんの意見も、ボランティアさんらの話も、土地の人らの話も、鵜呑みにはしないんですよ。
でもそれを覚えていて、ゆっくりと咀嚼していきます。


なんだかんだといって、長期的に見れば採算が取れるのかもしれない、という程度の期待値しかないし(あと美談と見られることもちっとばかり計画に入れている)、けれどねぇ、そもそも大きい風車はもう充分に作ったし。
林太郎サンもかなり利益を出しているそーなのですよ。
会社にしても、あんまり一方向ばかり見ていると、かちこち硬くなってゆっくりと死んでしまうかもしれないし。まあ、騙し半分かもしれないけど、案外新しい風になるのかもしれないとも上司も請け負ってくれますよ。
失敗もあるかもしれないけども。
でも、なーんの可能性もないよーなほど悪い条件でもない。


小さな家一軒に、その風車一つ、というような使い方をするのも良いのかもしれない。あちこちの発展途上の土地に、その小さな風車がからから廻るのかもしれない。


まあ、そういう話です。




最後に少し、土地の精霊に気に入られてしまったのもそのせーでしょうかね。
ちょっくら仕事をしていかんかい、と凄まれてしまいまして(意訳)、しょうがないので日本から彼の息子(小学生ー)が迎えに来たりします。
いや意味わかりませんね、私もどう説明していいものやら。。。


ダライ・ラマさんに会ったっぽいですよ。
なんで伝聞調なのかって言われても! だって本当にそうとしかーっ!!