第九話「試練」

カオルちゃんはお父さんの絵の復元に取り掛かり。
こーが君はお父さんも挑んだ試練に挑むっつー構成のこの回。


戦闘と日常シーンの融合というと、時期は後ですが町内コメディの趣のある『リュウケンドー』なんかがあるわけですが、あれは戦闘が生活に近いのであって。
こちらは人生が戦闘に近くなるというか。
考えてみれば説教臭いんでしょうが、よほどそういうものが嫌いな質でもなければそこが気になったということもないんでしょうか、少なくとも『GARO』自体に慣れていれば、というか、今までのテーマからも逸脱しない。
地味なんだけれども悪くない話でした。


まあその分、「面白い」とは特に言い難いんだけどね。
こういう話がシリーズの中にあるってのはいいことなんじゃないでしょうか。


あと馬な、特撮ヲタの方には黄金っつーか鎧で構成されたような馬という視覚プレゼントが、なんで馬、という理屈はいらないんですよ!
東京が滅びる寸前にも変身ポーズは必須なんですよ!!
(とある2ちゃんのスレのネタ。)
フィクションで気にすべき整合性とそうでないものがあると思いますが、間違いなく後者です、でも正直機動性を考えるとなんで馬。つーか絶対、変身を解いて追いかけてから変身したほうがいいと思いますよあのそもそも獅子舞、金属製肉ダルマ(それも言うな)。


という突っ込みももちろん、特撮においての楽しみですので本気にしないで下さい。
どうも生身のこーが君のほうが微妙に強い気がしてるんだよな。。。




とはいえ、己と戦う、もしくは己の影と?
というよーな観念的な内容は私はどうでもいいです、小説でモノローグや地の文を駆使して一つのものとして描き切るというのならともかく、正直映像でやられると半分寝る。元祖(とは限らないけど一番有名かと)スターウォーズのあれも駄目です、あれが悪くないのはそんな抽象的な言い方しかしないから道外れたんだよ! みたいなオチがちゃんとあるからです。わかりにくいったらわかりにくい。


現実の人生からヒントを得て、努力と根性で物語りを補完することは麗しいんでしょう(具体的に言えば特撮、そして実はこの番組でもないです)。それ自体はちっとも悪いことじゃないですが。
それを他人に強要するのはどうだろうか。
、、、とまでは言いませんが、題材が抽象概念の場合はなー、いらねぇったらいらねぇですよ。
(しかし当然個人的な場所以外でしつこく言うのもなんですが。)


いやでも、この場合は別に批判してんじゃなくて「なんか不思議ーな現象」みたいなレベルの理解でも見ていられたので、まあそれはそれでいいです。
抽象論がお好きな向きもあるでしょう、そもそも深夜系だし。




しかしまあ、ファンタジーやオカルト系での「強さ」の高低の表現ってのはある意味難しいところがあるのだろうし、いわる敵が動物・怪獣モノであるウルトラマン、武器の強さで主にパワーアップを表現するライダー、付属メカや多段変身(これは他の系もか)なんかが出てくる戦隊・その他なんてのがあるわけですが。
(要するに見た目の違いで強さを表していると。)


GARO』の場合、ある程度の魔術系のルールが作中に存在しているし。
それこそ父親から力を受け継いでいるっつー設定なのでそうも行かないんでしょうな。


いやいやいやいや。


カオルちゃんに昔、とある孤児院? 幼稚園の人が壁画の修復をして欲しいのだと依頼してくる人がいました。今までこの手のパターンで、彼女のことを捕食しよーとした人らがわんさという状態でしたが。
意外とその辺は、真っ当な人というのがわかりやすくて良かったです。
なんだろう、演出の違いかな? 最初の最初は、ちょっと建物が薄暗かったんでどっちかなー、という程度には思いましたけど(疑い深ー)。


女神が立っていて、その手のところがひび割れて元のモチーフがわからない。
その絵を見ていたはずの人に聞いてもばらばらなのだそうです、そして彼は、その絵を描かせてくれと言ってきたのがカオルちゃんのお父さんだと告げました。


こちらのパートは非常に地味だったんですが。
そしていつものように、ホラーに狙われるという展開はなかったんですが、まあ、初期から関係があると匂わされている彼女の父親絡みだったからか。それともこーが君も父親の影と戦っているのだというこの回のシンクロ具合のせいか。
それとも、純粋に結末が面白かったからかなぁ。
(あの「手」の完成図は良かったよなー、マジ。)
かなり面白く見れた回だったと思います。


そしてモチーフを通じて、父親の思いに気付く、というその展開も良かった。うん。