第七話「雨がくる虹がたつ」

話の構成によって、立ち位置というものがあると思うのですが。


いやもちろん、言動なども含めてですが、私が今のところ一番ギンコが「近い」と思ったのはこの話かなぁと。
いや、いつもどこか遠いヒトじゃないですか。
仕事とは関りのないところで救おうとしていた前話(「旅をする沼」)よりも、正直あまり覚悟もなしに巻き込まれてしまった前々話(「露を吸う群」)よりもね。
あのにーちゃん自体が、ある意味で流れモノに近かったからかしら。




「お前に、俺の見た物の中で一番美しい物の名を」


という言葉は、前に聞いた、自分の聞いた中で一番美しかった音、というのと少し似ていますけれど、それが息子に当の父に、なにか救いをもたらしていたかというとそうでもない。
いや、息子は最初から少し覚悟が足りないのか。
虹を探す父親とあまり関係がなく。




もしかしたら、親子二代をつなぐ。
緩やかな絶望の話だったのかもしれません。
橋を架けても架けても、大雨のたびに流されるような土地。
それでも父親は、その“虹”を見るその日まで、流される橋をそれでも何度も何度も架け替えていたのだけれども。
その虹を見てから、その虹を追うことに人生を費やすようになってしまった。


川のすぐ傍らに生えていて。
触れたら己の手に移り。
しばらく周囲に雨のたびに表われたけれど、じきに消えてしまったという虹。




要するにギンコが雨の中で出会った虹郎は、その虹を探しているのだと。


虹、に見えたそれは、蟲の一種なのだと、病床の父親と家族を故郷に置いて、虹を探して旅をする男から話を聞いてギンコが教えます。
本来の虹とは色が逆。
そして、雨が降ると出てくるのは本来の虹と一緒だと。




「見たことねぇな」
とだけで、あっさりギンコは虹郎の旅についていくと言い放ちます。
なんでなのかと、聞く虹郎に対しての答えは、うーん、大雑把に言うと骨休めなのだと答えてしまうのですが。
目的のない旅には終わりがない、だから休むためにたまに小さな目的を作るのだと。


少しいつもより、テーマめいたものが曖昧なのかもしれない。


まあ良い言い方なのか悪い言い方なのかわかりませんが、全体的に観念的な話であったのかもしれないとこうして書きだしていると思います。




説教して、「国に帰れ」というふうに告げ、、、てたかなぁ?
いやらしくないのですが、それに案外と近いような言動はあったようにも思います、まあギンコはあんな人なので、そう深刻に響くわけでもありませんが。
まあ病人がいる家は、支え手がどうしても必要ですしね。
(立派なお兄さんが家を守ってはいるようなのですがー。)


そもそも虹に魅せられたのもお父さんですし。
でもまあ、他の人にはけして見えなかったその“虹”を乳呑み児だった虹郎さんだけは見て笑っていたのだとはいうのですが。




雨が来るのを、頭でわかっていたはずの(探し続けていましたからね)虹郎が、どうも体でわかるようになってしまったという変化。
自分のおとーさんもこうだったのかと思いを馳せる。
ギンコには知識があるし、知恵もある。


自分がどこに立っている、どんな人間であるのか、流れ者であっても自覚しているギンコとの交流で、少し自分に区切りをつけようかと虹郎さんも思ってみたりする。


色が逆さになった虹を見つけて。
それでその美しさにふらふらと惹かれて触れようとして、んでもって、襟首をギンコに引き摺り戻されてしまうのですが。


触ったら取り込まれるぞ、と。


で、まあ、うーん。
これは蟲であるけれど、意思なんぞない、ただ在るだけのものだとギンコに告げられて、うーん。


まあ、腹を括ったんでしょうかね。
最後の取り外しの効く橋は良かったですよー。
うん、わかりますよ、わかりますけれど、もう一度私が口から出して説明することは難しいかもな。w