君のようには生きられない。

私にとっての「暴力」の記憶といえば。


たまたま二人きりだった継母にプラスチック製の洗濯籠で頭を滅多打ちにされて、しかもマズいことにそれが古いもので壊れていたもので、さんざに流血し、泣きながら「ごめんなさい」と謝って(したことはといえば、「使ってない部屋の電気を消したコト」でした、まあ普段からの不和があるわけですが)。
とりあえず、酒を飲むために買ってある氷の袋を貰って。


その一晩、一体どうしようか、とぐるぐる考えていたことでしょうか。
いや別に、今はそんなに気にしてません。




ていうか翌日、ヘルメットを被らず(中学校指定の自転車通学用)登校して、保健室が開いてなかったので職員室に行って治療をしてもらい。
つか登校前に「学校で昨日のこと、話してもいい?」という許可を継母にもらったりなんだり。で、当然のことながら怪我の理由を聞かれましたもので、正直に。全部。
結構人だかりが出来ていたような気がしますがー。
さすがに回路がぶっちぎれてるのか覚えてないな。。。


えーと、その、継母は一応は世間体を気にする人で。
つかむしろ、表面に拘るあまり内実を疎かにするタイプでもあったのですが、そーでなくてもその状況に耐えられなくても仕方がないかなぁ。
じきに離婚の運びとなりました。
中学校でも私は目立つほう。
そして、中学校と隣接の小学校の先生方はかなり仲がいい。
当時の実家は社宅。


いやもう、千切れてたんですからしょーがないですってぇ。w




冗談めかしてますが、なんつーかもう、それはもう、どうしようもなかったよなぁ、と今でもしみじみと思ってます。反省は、正直あるけれど、あの時の私にそれ以外の反撃の方向は思いつかなかった。


暴力を一度でも許容したら、確実に連鎖したでしょう。
継母と、私と、どちらかしか生かされる可能性がなかったのなら、私は私を選びます。単に自分だからってだけじゃなくて。
彼女の未来を喰らう結果になったとしても。
それ以前の不和は、両者に原因があったのだとしても。
あの当時の私の未熟さを考えると、どうしてもそれ以上は望めないんですよ。




けど。


それはもちろん、私一人だけで考えた場合です。
周囲に誰か、それを話せるヒトが私にいたら、そうして信ずることの出来る相手がいたら、なにも大人でなくても子どもでも、友人でも。
ぞっ、とすることに、全く誰もいなかったんです。
「不和」は全て自業自得とされて、離婚の後は父に責められて、せめて怒ってくれるであろう祖母には、なにがあっても話すな、ことが大きくなると口止めされました。




そのせいでか、いまだに「私が振るった暴力」という記憶になっています。
加えられた、という形じゃないんですよ。
周囲がその時のことをどう思っていたのかと聞くと、やっぱりそれに近い形になっていますね。それはないだろうというような評価の仕方。
無理はないとも思いますが、ねぇ。
今の私なら、確かにそんなことにはならない。
いやそもそも、誰かに暴力を振るわせるようなことにはなりません。
腕が折れようが、歯がなくなろうが、体が燃やされようが多分私は少なくとも為すがままにはならないでしょうし、そこまで覚悟してって目にもまあ遭わないでしょう。
まあ都会暮らしなので、そこそこの目にあってますけど、怯えたことはない。


てか、今の性格は、主にその晩に製造されたものであったりします。




なんていうかそれ以来どうも、強迫観念的に、「誰か」をそーいう目に合わさない、みたいな感覚が染み付いちゃってて。
根本的には人付き合い苦手なのでいろいろジレンマってます。w
結構、なんつーか、そういうことを細々やってると好かれることが多いんですよね。そりゃまあ、弱ってる時に手を差し伸べられるんだから当然っちゃ当然ですけども。


ちょっと、人から攻撃受けると庇ってくれる子とかもいるしね。
あー、「あの時」に今みたいだったら、、、今みたいだったら「強迫観念」がなくて今みたいにはなってないのかな(言葉遊び)?




私は大雑把にいろんなことを後悔してません、馬鹿ですが。
殴られたことすら含めても、それに反撃したことに関しても。
彼女の人生を捻じ曲げたかもしれないことも、反省はしても。


そこまで強くなかったんです、ごめんなさい。