「ウルトラマンSTORY0(1」

つぅかゾフィーさん本か。w

「ウルトラマンSTORY0(1」
 真船一雄講談社


ゾフィーさんが鬼のように格好いいです。


世に、どうやら≪ウルトラ兄弟≫という設定が存在することからしてつい最近知ったわけなのですが、唯一「ウルトラマン」(セブンさんは「ウルトラ」)と付かないゾフィーさんが長男です。
なんか≪宇宙警備隊≫とかゆーのを組織ってるらしいです。


いや、この時代は、漫画のほーでそれを作ってるかはわからんのですが。
ところでウルトラマンとかは呼ばないんですが(ゾフィーさんに限らず、ていうか地球で地球人たちに呼ばれたというのが元ということになったらしい)(後についてるのが本名、ウルトラマンさんの立場はどうなるの?! と思うんだが、実際毎回苦労してるっぽい;)。
それ以外にも名前呼びにえらく苦労してますね。
ゾフィーさんくらいしか気軽には呼べないというのは事実みたい。




んでもって、どうももともとウルトラマンさんたちは人間と同じような姿をしていたのが、プラズマ太陽というのになんたら因子を組み込まれてその光を浴び、体が変異してしまったというのが設定らしいんですが。
これが映像作品群とどれだけリンクしてるかは知らんです。
まあとりあえず、そんな設定なくても番組は困らなそうだしね。
(ぶっちゃけ関係してても後付け設定だろうし。)


冒頭に、ある程度そのことには触れているものの、基本的には後回しにされてて皆は宇宙のあちこちを廻ってるというような説明のみで話は進んでいきます。
ジャックさん(『帰ってきたウルトラマン』)が出会った水棲人たちがちょっと好きだなー、なんか可愛い。


人間型の星のが多いんですが、そんな時にはちょぴっと『北斗の拳』を思い出してしまったり。絵柄が似てるからかしら。いや、似てないのかもしんないけど私には同類項に見えますの、ごめんなさい。


――諦めてはいけない。


というのが全体のテーマといえるんでしょうか、あとは、それぞれが抱えているあんまりにも強すぎる力。
その責任に関してということ。
私はこういうのはウルトラマンさんらがやってくれたほうがいいかなー、という気がするんですよね。もちろん個人的に。




だってさぁ、どう考えても全くサイズっからして違うしね。
「守る」て言われた時に、おめーがかよ! とか妙なことは思わずに済みますよ、って別に特定のなにかへの嫌味じゃねっす。うーん、どっちかというと全体的なフィクションそのものの流れに対してかなぁ?
選ばれた人間の孤高、て物語りが間違ってるとは思わないけどさ。
なんかわさわさわさわさわさって量産されると頭痛い。;
どこを見回しても特別な人間だらけ、みたいな感じ。
(だからヒーロー物全般に対しては、そんなにこの辺の違和感はないんですよ、最初からそういう前提なんだからどうもこうもないわね。)


「貴方が最後の希望なのよ!」


という声援も、だからわりとすんなりと見れる。
うん、ヒーローが己の力に悩むってところまではまだしもなんだ、でもそれに縋って、ただヒーローを待つだけになったらそれは作り事「だからこそ」ちょっと苦痛になってしまうことがあるんですよ。
(現実での、単に甘えにしか見えない状態かなァ。)


でもさー、縋る相手がウルトラマンで、「敵」が、「障害」がウルトラマンよりでっかいんだよ? どうにもなんないって理解出来る。
もう滅びを待つか、せめて「光の巨人」に望みを託すしかないよね。




そーしてサイズ可変で人間と同じ姿も持つ彼らを、助けてくれることも結構あるんだね(わりと皆ぎりぎりで星に到達するからw)。
そうとは明言してないんですが、己の本性を皆知られないようにしていて。
正体が知れたら去っていく。


どっかで見たんですが、ウルトラマンに頼りきりになってしまってはいけない、ということだからなのだそうです。もちろんこの漫画の中で見たわけではないので、そういう意図のものかはわからないんですが。
少なくとも本篇のウルトラマンにはそういう製作意図がある。
(意図もっつーかw)(お約束としての働きも当然あるでしょう。わはは。)


ウルトラマンたちの強さってのはなんてのかなぁ。
まず絶対的にフィクションであって。
作り手たちと、それを受ける人間たちが徐々に作っていったような気がするのです、だから「面白い」んじゃないのかなぁ。正しいとかそんなじゃなくて。