三十七之巻、甦る雷
超能力だとか思われると困るんですが。
ていうか、理由を説明しろと言われるともっと困るんですが(困るどころか)。
2話の時点で私はなんとなく、ヒビキさんは人を殺したことがあるのかな、と思っていました。いや正確ではないな、「それすら許容する世界」なんじゃないかと。
人じゃなく、鬼なんだろーけど、そんなもの私にとっちゃ同じだ。
で、そのせーで『クウガ』に走ったんですよねぇ(思い出した)。
どう考えてもヒーローがそれってのは飛躍している、その前段階があるはずだって。もっとこうもう少し、ヒーローがヒーローであるということの意味、というテーマが前にないとそんなもの辛すぎる。
まあテーマの割りに安かったけどな(どこまでキツいんですか)。
ただ個人的に私としては、安くて構いません、真正面からそんなものを突きつけられても困る、というか怖い。正直嫌ですよそんな特撮。
P交替騒動の一部の人が、私には異様に違和感がありました。
むしろ交替を望まない派の一部、ライダー同士の争い、ということにひどく拘っていた人ら。それを許容させやすい世界を作ってから、という前提がないのだから、嫌がるのはわかりますが、それを「安さ」として捉えるのは妙ですよ。
『555』のグラム単位の安い死(非難ではありません、そういう作り方を、最初からしていた話でしょうあれは)、『龍騎』のそういうルールの元での死。
『ブレイド』の勘違いを繰り返しただけの小競り合いとは全く違う。
はずだったんですがー。
そっから、急遽ざくーっ、と中核を抜いてしまうんだから。
面白いくらい全く怖くありませんでした、2話のほうが怖いよな、これだと。
惜しいっつーか、安心というか、まあ二律背反。
ていうか、別段、気付いてるほーが少数派なのかな? つー気もするし(感想サイト見てる限りでは、多少割合違いますが何人かおられましたけど)、絶対に必要ってわけでもないし、「お子様に返す」のなら放棄でいい気もするんですよねぇ。
ていうかさぁ、瀕死の子どもって、この子?
朱鬼おねーさまは、なんつーか、変身してない時の喋り方が異様に素敵ー☆ だったんですが(男言葉男言葉ーーー!)、変身以降のアテレコはちょっとこう、寂しかったです。
遠い目しちゃったよ。。。
あーでも、「呪術的な力」万歳!
ザンキさんとのシーンとか、もうもう、とても素敵でしたよーー。絵が。
安っぽい演出、超ご都合主義なんて気にするなよ、リリカルに花で飾るなんてもうどうこう言わなくてもわかってるよっ!
いいんだよ、こーいうのは。安くても。
安くない感動もあるのかもしれないけれど、惜しいよーな気もしないでもないけれど、骨を抜かれたんだなぁとは思うけれど、でもいいじゃないか、別に。
「なかったこと」にされるところだったんだろう? なあ。
まあでも、あきらちゃん的にはちょっと不満ー。
可愛くはあるんですが。
あと、朱鬼おねーさまが、洋館夫妻&スーパー童子・姫と邂逅したところなんかは、前の人らじゃ見れたかどーかわからない感じでかなり好きー。
うん、雰囲気は足りないのかもしんないけど。
さくさく事務的に進めるのも、どっちかというと「ちゃんとそういうキャラクタ」だ。
演出的な面だと、ストップモーションがなかなかに効果的でした。
ああ、確かにこっちのほうがわかりいいな。
両親の仇を取るために、ひたすらなにもかも振り捨てよーとする朱鬼さん。
憎しみというそれ自体を、あきらちゃんと違って咎められなかったのはそれだけの力があったからでしょうすでに(彼女が咎められたのは「行為」だけ)。
でも残ったものはあった。
それがザンキさんのちょい未練がましい「確認」とか、それを否定するところとか、死を包む花とかそーいうので表現されていて、でも明言はしない。
都合の良い花の束。
別にわざわざそんなことを選び出して、それを責めるのは奇妙だろうと思う(でしょ? それ以前にいくらでもある)そういう気持ちとよく似た感情で、これもまた一つのものだと感じるといいよーに思うのですよ。
そうでないのなら、「彼女」がどーして間違ってるか言って欲しい。
安いけど、そんなものは見ればわかる。
このテーマだって、元からのものだ(ただ朱鬼さんって、ザンキさんのお師匠さんではなかったのかもしれないね)。
そろそろ死んだ子の年を数えるのは見たくないよ、ごめんね。
同じものは求めない、それはあまりにも当り前だからわざわざ言わなかったけどさ。
てゆっか、明日夢クンの中の人の誕生日(≫東映公式)!
なんで花束贈呈がヒビキさんなのッ、普通そこは女の子でしょう、いーなー!!