「月の影 影の海」一章/二章

十二国記 月の影 影の海 一巻 [DVD]

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≪密林.com≫

さてぬっちゃけ、馴染むまでに少し時間が掛かるんだろーね。


それはまあ、原作があるもので、原作と違う展開をしたメディア・ミックスであるのならば、当然覚悟(むしろ製作者がか?)しておくべきよーなことで。
原作好きならなおさら。




ちゅーか、顔長いな。
(そこはどうでもいいから。)


とりあえずまあ、陽子が別世界にすっ飛ばされるんですよ。
小説ではほとんど≪日本≫が断片くらいしか記述されてなかったんですが、幼馴染と苛められっ子が追加。一緒くたに飛ばされてしまいます。
ああうん、確かにこりゃわかりやすい。


その面子は、わりと真っ当な精神を持つ男の子と。
異世界が迎えに来る」と実は夢見ていたらしい女の子。




でも一番取り乱しているのは陽子だな。
なんていうのか、判断そのものが苦手な、優柔不断な人間として描かれています。ちょっと極端なくらいに。
リアリティがないっちゃあキツすぎですが、フィクションとして見てて気分のよいものではないのは確か、でも面白い。ただ原作やら、もっとあとの回を知っているので、それがまっさらの状態でも感じたことかは判然とはしません。


私的には、客観的に面白い(言語的に矛盾)。


でもやっぱりなーんか辛いな。
なんか小説を昔読んだ時の気持ちが蘇っちゃったよ。




小説の中で陽子が「戦って」いたのはひどく漠然とした、形のないもので、彼女がこちらの世界、異世界に飛ばされる前に犯した「罪」もまた、形のないものにすぎませんでした。


ちゃんと周囲と向き合おうとしなかった、というソレ。


私の内部にはこれにほぼ呼応する部分があったから特にこの本が特徴的だったし、そういう人はきっと多くはなくても他にもいると信じています。そして、そうでない人もきっともう少しずつズレて、漠然とした不安のようなもの。
やっぱり、思春期であるのならば誰でも大なり小なり抱くような感情をもって小説を読んでいったのだと思うのですよ。
その本が、小説だけで完璧なものか、といったら私は首を振ります。
けれど、文化や時代に反映された一過性のものか、と聞かれたらそれもやっぱり違うのではないか、別の時代にも胸を痛めて本を読む子はいなくはならないと思うのですよ。




アニメの中の陽子は、傲慢な存在です。


そこが小説とは違う、というか、「わかりやすさ」になるのではないかと。小説と同じく、同じような質の苦難に合っていくことになるのでしょうが、それは、一つ一つの陽子(アニメ版の)の罪に対して起こるのではないかと思います。
それを“改悪”と呼ぶのは多分見当違いですが。


けれどこのアニメは、そのわかりやすさ故にエンターテイメントになってしまっていて、誰かの胸を痛めることはほとんどないのだろうなと、そんなふうにも感じるのですよ(全くないとはやっぱり思いませんが、それでも)。
アニメの陽子は、私にとって少しも特別にはなりえない。
いくつの時に出会ったところでそれは変わらないでしょう。


まあ、私は、「そういうふう」に振舞ったことは一度もありませんからね。
アニメの陽子はあんまり明確すぎる。


んでむしろ、そーいうふうな“改変”を加えられたこと自体が、なんかねー。
少数派だって思い知らされることはどうしてもちょっと、覚悟をしているつもりでも辛いのですよ。




でも、そんな個人的感傷を捨ててしまえば。
ある意味でひどく正しいメディア・ミックスなのではないのかとも思うのです。
小説の否定をしている、とか、原作の味を殺した、というふうに見てしまえば許しがたいことなのかもしれませんが、そこにはそんな意思はないように感じる。


むしろ、似てはいるものの新しい形での展開、小説とは違ったもの。
しかも確かに、この小説、この本でなければ絶対にありえなかったものを作る、という意味でひどく正しい「創作」ではないのかと思うのですよ。


違う、のは確か。
けれど、劣っている/優れている、という評価をどちらがどちらであってもそもそも下そうとするのは見当違いかなぁとも思ってみるのですよ。


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