「嵐が丘」上

嵐が丘(上) (岩波文庫)

嵐が丘(上) (岩波文庫)

≪密林.com≫


――徹頭徹尾造型深く面倒臭いライトノベルだった。


つーのはヒトのとある、こっちからリンクぶっ飛ばしてる感想の先頭で、なんかえれぇ格好いいなと思って真似しようと思って、さてそれに当て嵌まるのはー。
と考えて思い当たったのがこの本。
いや別に、指摘されるまでもなく間違ってるの自覚してるから。
(その時点からパロディだよんと言うつもりだったから。)




まあ。登場人物覚えにくいしな、文章はどう考えても翻訳のせーではないだろうに(構文に問題はない)、なんかがりごり読みにくいしな。
どんな善人って銘打たれてる人物にしても、なんかわかんねーし。
ヒースクリフ気持ちわりーし(中心人物)。
キャスリンに共感できねーし(ヒロインな、幼児のヒースクリフを拾った家の娘で兄弟みたいにして育ってる)。
ぎりぎりでなんとか納得が行くのがエドガ・リントン(ヒロインの夫だね)なんではあるんだけどー、やっぱ阿呆だよアンタ。


おまけに、語り部の存在がどーやっても覚わんないし(ネリにあらず)。
つーか、作中で語られてることと、ねえ、全然関係ねーじゃん。
てか、薄い癖に結構嫌なヤツってどういうことそれ? せめて薄いなら薄いで行儀良くしてろよ、てめーのモノローグなんてどうでもいいんだっ。




と、いう本です、超面白かったです。


うんやっぱりねー、設定頭に入ってる2回目のほうがさすがに断然にいいわ。
ていうか、初読の時もご親切に解説に乗ってた家系図と首っ引きで頑張って読みましたよ、おかげでテンポががたがたでさー。
(今の岩波じゃなくて、実は一つ前の版、男が翻訳してたの。今の知らね。)


解説も新しく読んだら印象変わってたけど、やっぱり「田舎の小娘」というニュアンスが裏に隠れてるのは変わんないよね。直接書いてないけど透けてる透けてる。


とはいえ「田舎の小娘」超褒め言葉だけどな。




うん、田舎の小娘のわりにとか田舎の小娘であっても優れてた、とかじゃないのよ全然、田舎の小娘=優れてる。そのまんま直結。
この解説で(だから今読めねぇって。)ムカつく女性は落ち着きたまい。


例えていえば、、、嵐が丘ってのは、とある旧家のある土地の名前なんだが荒野なんだよ、天候もなんか妖しい、そのままの名前だ。
作者ってのは、その土地をどうしても離れがたく愛していたらしいという。
都会に出てったが、不倫な恋に破れ帰ってしまった。
この作品だけを書いて、あまり誰に見せるようなつもりもなく、それからそんなにたたない頃にぽつんと死んでいる。
(また変わった家族やら姉妹なんだが。)


荒れ果てていても、じゃない。
どうもその愛は、荒れているこその愛らしいんだよな。私にはわからん。
その土地そのもののような作者に、その作者そのものの作品がこれだ。
姉が見つけ出さなければ世には出なかっただろう。


認められなかった、評価されなかった、原始的で粗野、まるで洗練というものがない、姉の初期の作品ではないかとも言われた理由もなんかそのままわかるよ。
だって、言われたこと一個も間違ってない。
悪口のレベルになっても多分それ正しい。




ヒロインのキャスリン(母、その娘が同名)と。
ヒースクリフエドガという男二人との三角関係の話と言ったら結構簡単にまとまるんだけどな、そこに荒れ野が絡む。
どーにもならん、人の神経すら削っていくような土地がな。
若いまんまに、狂い、死にいく人間があんまり多すぎる。
それが土地のせいなのかは知らんよ。
でもそれが違う場所であれば少なくとも、問題だと思うくらいのことはあったんじゃなかろうか、まるで当り前のように受け入れられることはなく。


でもあたしは天国に行けない。
天国はあたしに辛すぎる、あの風、あの荒野のとげとげした人に突き刺さる茂みが懐かしくてあんまり泣いていたらあたしはヒースの茂みの中に落ちていた。


うろ覚えなんだけどキャスリンてこんな感じ。
ヒースクリフはその土地みたいな男だ。
エドガは地上に下りた天国の住人のような哀れな男(貧乏くじばっかり引きやがって)。多分キャスリンへの愛にはどこにも誤解なんかなかったと思う。
だからこそ哀れなのだが。


キャスリンはどうだったんだろう?
ヒースクリフだけへの愛ならわかる、エドガを利用したのだというのならまだしもだ。趣味が悪いで済むのじゃなかろうか、納得いかない部分を残しながら。
でもそうじゃない。
彼女はヒースクリフエドガに心を裂かれて死んでしまった。




キャスリンがなんだったのか、いまだにちょっとわかんないなァ。