「マルドゥック・スクランブル―The First Compression 圧縮」

≪密林.com≫

――あ?


おかしいなおかしいな、日本人作家が書いたものをSFという大括りに入れてもいいんだろうか、神林さんはともかくもとか考えて(銀英伝はわりと好きだが嫌だ、笹本も相当好きだがごめんする)。
ちょっとこの作家さん評価でも見てくるかと廻ってみようとしたら。
なに腐女子(聞くな。)に超絶賛されてるのさ?!
しかもキャラクタっつーより、あれだろう、普通に作者→キャラクタぁぁぁ?
女作家だと、超絶に嫌がられるパターンだよね、いやもうこっちの話だ。えー待ってー、ちょっとー。




いいや、開き直る方向で。


私は結構、差別的だったりします。まあ家系だしね。
ていうか、てめぇのやってる差別を認識しようと思ってるだけですよ。
(自覚されて表に出た、それによって“評価”を気取らない差別は、好き嫌いとあんまり変わらないのかもしれないですけどね。)


で、そういう前提で。
日本人は根本的に、あんまりろくなSFを書けないと思ってます。
なんでかとか、多分いろいろと理屈は付けられるし、「弱い」というところまではわりと知られていることでもあるよーなのですが(まあ私、SF知識古いが;)。
ラノベってんじゃなくて、SF全般。漫画やアニメのほうがマシなくらいか。
ファンタジーも弱いよなぁ。




それは、まあここからは単に個人的な雑感なのですが、SFもファンタジーも基本的に構造が重要だからなんじゃないかなァと。
日本人、構造論とか苦手だもんなぁ、、、細かい調整は好きなんだけど。
(私も同系統の欠点ありますな、枝葉にまず目がいって全体像を描くのが苦手。)
で、だから、逆にコードが決まってるラノベ系なんてのはわりと発展していたりする。
ゲームや、既存の世界観に添うような話ね。
ただし、ファンタジーはそれがやりやすいけど、SFはそうもいかない。


で、戦闘機やらスペオペ、戦闘技術に添ってが若干発展していたり。
これはアニメの文化だよね、アニメから派生した小説もちょこちょこあるけど、どうしてもラノベになるし(キャラクタ色が強い、悪いとは思わないが慣れてないと読みづらいというのは事実だと思う)。




私は端的に、SFというのは差別を含んでいると思う。
なんでだかは知らない。ただそう見える。


人種差別やら、ジェンダー(性差)やら。
階級や、職業差別やら。
まあ単に、社会構造を書き出すのがSF、と思ってる私の趣味のせいかもしれない。




この話の軸になっているのは多分「レイプ」。


私がエラいこと読み違えてなければね。
謎めいた男に囲われていた少女娼婦が、焼き殺されるところからあらすじは始まる、けれどそれ以前のモノローグから話は動いているんだろうねこれ。
ノローグってのは、一番簡単な言い方で独り言。
少女ルーン=バロットの頻繁に繰り返されるそれのせいで、多分かなり本は間延びして見えるんだが。


この本のモノローグは雰囲気付けのためのものではなく(偏見ではなくそういう話は多いと思う、悪い悪くないはまた別として)、あれだよな。
少女が世界を許容するための儀式めいたところがあるね。


わかるとは言わないし言えないが、私には邪魔は出来ないな。




指にヒトの灰から造ったダイアモンドの指輪を嵌める、どこか奇妙な、自分を買い取った男に焼き殺されて、ルーン=バロットは生きる気力を失う。
もう少しややこしいが、誰かに許容されて生きていたいという感情を踏みにじられてしまったというと、、、まあちょっとわかりやすい分、無粋なのだが。


彼女を死の寸前から助けた、マッドサイエンティストとその“相棒”のコンビも、こちらはちょうど法的に「誰かに必要とされなくては」ならなかった。
マルドゥック・スクランブル−09(オーナイン)、という生命の緊急避難的な制度を発動することのできるチャンスを待っていた。
あまり美しいという話でもない、その部分は。


「レイプ」がどこにあるのかというと、話の全てにだ。
厳然な被害者のルーン=バロットですら、その罪を犯すことから逃れられない。
以下次巻、珍しくも、まだ読まずに書いているが、多分失望はないだろう。