『JSA』

ソフィアさんの顔が好みともいう

『JSA』
監督:パク・チャヌク
出演:ソン・ガンホイ・ビョンホンイ・ヨンエ


なんでもなぁ、北朝鮮と韓国の間に跨る南北境界線は野鳥の宝庫らしくてな、どこぞの鳥類学者がずっと南北分断したままだといいなぁと(貴様さては本気だな?!)言っていたのがえらく印象的なんですがっちゅーか。
韓国か北朝鮮のヒトが殴りたいって言ったら止めませんとも。殴ってくださいな。
(私には殴る権利ないけどね。)


なんて話は、ほとんど映画に関係ありません。つーか全くないな。;




さて、歴史の話が絡むと説明が難しいですね。
北朝鮮と韓国は、余所の人間が分断したのだそうです、ドイツと一緒で、ドイツはもとに戻ってしまったので。
今は世界でただ一つ、他人に引き裂かれたままの国と国。


その境い目には軍事境界線がありまして、それがJSA−“共同警備区域”。


ここの北朝鮮側の軍人と、韓国側の軍人が。。。
ああ、なんて表現しようかな。
もーありていに、お互いのことが好きになっちゃったんですよ。
ホントにホントに、ありふれた友情。
まあところによりちょっと、ガキか君らは、と画面に突っ込んだけどさー。


映画的にはネタバレなんだろうけど、そもそもそういう煽りで売ってたんだから今更今更。
そいでもって見付かってしまい、殺傷事件に発展。
そこにスイスから派遣された女性将校が。
その事件の核心に少しずつ近づいていくというのがこの話の筋。




これね、原作の小説では男の人で、女性に変えられたっていうし。
その女優さんがかなりの美形なんだけど、なんていうのか、、、上手く言えないけれど映画を売るための演出的にというふうにはあんまり見えない。
そのつもりであったのだとしても私は構わない。


その彼女の身元からして、国が二つに裂かれる時に、どちらの国を選ぶことも出来なくて、結局どちらにも属さず世界の裏側まで流れていってしまったというそういう人の娘さんで。
永世中立国のスイスで、軍に属す。
そういう女性。


国は大国によって、強引に、急に裂かれたので、その当時の人らはどちらの国にも親類が残るような状態でした。そのまま、生木を裂くようなもの。
大抵の人はどちらかを選んでもう一方の親族とは、永遠の別れをしたのだといいます。


映画の中で、北朝鮮側の兵士が。
アメリカとの戦争が始まればあっという間に韓国もろとも火の海だ、という言葉を吐き、そして韓国側の兵士さんらもうな垂れます。
それは、単に大国への不審というだけのことでもなくて、その裂かれた国々はそのせいなのか本当に近い。
本当に小さな国なんです。




悲劇を下敷きにしての回想の中での。
けんけん鬼。チョコパイ一気食い、、、顔の形変わってますぜおっさん。
エロ写真。
ああ男の子、いやー、すごく男の子。
全員成人すぎてるだろーが! 貴様らーっっ??!


んでも、そんなくだらねーもので韓国に亡命しないかとか誘ったりとか、やっぱりそれは許されてない関係だってことが、言葉の端々に覗く。
そして二つの国の生活水準が、本当に違うのだと私たちまで思い知らされる。
いつか、自国のチョコパイを作れる国になってやる、て言葉をひょっとしたら私なんかは、普段聞いたら笑うのかもしれません、冗談にしか聞こえなくて。
そういう文化がないのじゃなくて、そんなものどころじゃないんだ、かの国は。
けれど彼らは、国を見捨てないのです。


隣の国の、今は別の国の友人を、とても愛おしく思いはしますが。
それは譲らないのです。
そしてもしかしたら、そういう人だからこそ、韓国の兵士は彼に惹かれたのかもしれませんね。
あーうん、一方的な口説き落としだったよな、うんあれ。
北朝鮮兵士が韓国兵をひょんなことで助け、そのあとで韓国兵のほうがモーション開始〜、で両国若い者が一名ずつ、で全構成。)




北朝鮮側で、彼らの密会がバレ。
緊張状態の中で銃の暴発、そして、、、錯乱。
彼らはやっぱり心のどこかで敵同士だったんでしょう、巻き込まれて仲間四人のうち一人が死んで一人が怪我をします。


その事件の、韓国側での調査員が最前のスイス兵将校・ソフィアさん。
そしてどうも、韓国側の上層部はなんとなく真相を察していたのではないかなと思える節があります。
本当は、うやむやにしてしまいたかったのかもしれない。
ソフィアさんは、事件の采配をほとんど全面的に任されてしまいますが、どうしたいのかがわからない。そして事件関係者は心を開いてくれない。
そのために否応なく真相に迫らざるを得なくなります。


そして、もしかしたら彼女の行動なんて、ほとんど関係なかったのかもしれないあっけない幕。


深夜こっそり抜け出して、馬鹿な話をしたり、エロい写真で盛り上がったり、女の子が可愛いと騒いだり、子どものような遊びをするために。
国まで巻き込んでの結末。いくつもの死。
そして、それを彼ら自身が、完全に予測できてなかったというわけでもないのです。


だからこの映画の、原作の小説は始めありえないと言われて評価を得られなかったし、実際にそんな交流があったと知られて世間が驚いた。
その交流が発覚していれば、悲劇は実際に起こりえたのでしょう。
けれど、それでも彼らは境界線を越えて行ったらしいのです。
どうして隣人を、人為的な線一本で憎まないといけないのかわからなかったのかもしれません、それで死を招くとしても。愚かでも。


しかーし、この映画で一番哀れなのは、、、けんけん鬼集団を見付けて「処刑スタイル」(憎悪の象徴)で殺されちゃった北朝鮮将校だーっっ!!!
んなもん見つけたくはなかったよなぁorz
(あ、いや、真っ最中じゃねーっス、実際には雑談時。)
ちょっと普段から嫌な人だったのかもしんないけどっ、しかし、そこで憎しみをぶつけるのは違うだろういかんだろう。


ただ、その“憎悪”って、なにか別のものへのものかもしれないなと。
そう思わないでもないんですがね。




この映画に続きが、救いがあるのだとしたらそれは現実の世界にあるのかもしれません。
これから、半ば苦いけれど笑い話みたいにして、話せる日が来るのでしょうか。そしていつかこの映画を見て、こんな時代があったねと誰か未来の人らが言ってくれるのでしょうかね。