「こころ」夏目漱石
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/03
- メディア: 文庫
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ころころ、と。
これを聞くたびに言ったり書いたりしてしまうのは多分私だけですとも、しかし、無理はないんですよ、なんでひらがななんだー。
どーも、この「こころ」、夏目っちゃんが書いたということが頭からすっぽ抜けてしまい、そのたびに馬鹿にされてしまうんですが(「坊っちゃん」「吾輩は猫である」なんかはそーゆーことないですよ)。
私は彼の「夢十夜」なんかのファンタジー路線が好きで、趣味と違うっちゃ違うんですが、それと記憶はさすがにあんまり関係ない。
ただ、なんていうかこの話には、どこか余裕めいたものが欠けている。
未完とも言われていて、確かに結末がないのだけれど、聞かなくてもなんとなく先がわかる。
明確な意味や形はてめぇで見付けろと言われているみたいというか、しかもそれが作者どのが最初から意図しているんじゃなくて、単に力尽きちゃったのかな、と思わせるようなそんな感じ。
無名の人くらいのほうが、印象に合うんだけどー。
でもそれだと多分、世に残らなかったんかもなという気もしないでもありません、世間は無常だ。うん。
いっそ清々しく「先生とKはホモだよねー。w」と言い切っちゃう現代の腐女子は素敵なんじゃないでしょうかシンプルで。
うんいや、夏目ちゃんに言ったらしくしく泣きそうですがね。
うわ、泣かせてみてーと思ったのはここだけの話で。
というよーな話と、実は案外近いことを作中では先生と“私”が話していますね。
正確には、遠目で見掛けた先生を、猪突猛進に追いかけてくる“私”に対して、先生が一方的に言っただけだけど。
内容もちょっと違うけど、なんでも「異性に行く前の予行練習」に同性に行く時期があるのだそーな。ほー。
まあ、側にいてしっぽぱたぱた振ってれば満足らしいんだから、犬に懐かれたみたいなもんですわね。
奥さん(先生の。)もなんか餌付けしてるし。
どこか猫系な先生は、なーんも生産せず、さりとて悪い遊びをするようなこともなく財産を食い潰しつつ日々を生きています。
弟子とか言い出す“私”にも、特になにを言ってくれるようなわけでもない。
昔はそうでもなかったのだと、奥さんなどは言うのですが、その変化がなんでなのかが誰にもわからない。
少しの歳月が流れて、“私”にも身の振り方を決めなくてはならない時期が来る。
そーいう時に田舎のお父さんの危篤の知らせなんてのも来てしまう。
やれやれ、と帰っていたところに、先生からの長い手紙。
“私”は父親を振り切って汽車に乗ってしまいます。先生が死ぬと書かれていたので。
慌しく乗り込んだ汽車で手紙を開き、その手紙の中身、先生の過去の一方的な独白でこの話は閉じます。
先生は死んだにしろ、“私”やその父親、残された先生の奥さんがどうなったのかということが、気にならないわけではないですし。
いっそそんな風に終わらせるのならば、先生とK(と奥さん。)の話にしてしまってもいいようなものですが。
まあなんとなく、これでいいような気もしないでもありません。
先生ってのは、奥さんにも話せなかった過去を、打ち明ける相手を自分でも気付かないままずっと探していたのでしょうかね。
それが、未熟で盲目的な“私”であったというのは逆に。
なんだかありえないことでもないように思います。
Kは結局、なんのせいというわけでもなく、純粋すぎたから死んでしまい。
先生はそれが妬ましくもあったし、多分好きでもあったんでしょう。ひょっとしたら、哀れなくらい単純な構図だったんじゃないのかな。
んー。なんだか私は奥さんに話を聞いてみたかったな。
夏目さんにそれが書けるのかどうかは別としてですけどね。
本当に、なにも気付いていなかったのですか?