電車の中の百円ライター。

私の最寄り駅はターミナルから二駅。
電車の混み具合はさほどではなくて、だいたい7割くらい。


一人の男がポケットに手を入れ、出した百円ライターに火を着けた。


そーして、それ以降、火は消すけれども、そのライターを手の中で転がしている。なにをしたいのかはわからない。精神状態が異様であるようにもさほど見えない。
笑っているわけでもないし、興奮しているわけでもない。
冷静とか冷酷とか、そんなでもなかった、フツーだったと思う。


私の傍ら、すぐ側に制服を着た女の子がいて、私はその男と彼女の間に体を滑り込ませた。その日は雨が降って止んでいたのか、私は傘を持っていた。細身の洒落た傘で、周囲には迷惑だったかもしれないが吊り革を握った手でその傘を、威嚇するように持っていた。
男は女としては些か規格外の私より小さかった。
――身長が高くて助かった、と思った。


前に「そんなことがあるわけがない」と馬鹿にされたことがあるが、体の大きさはこと人間に対する限り恐怖心を大きく左右する、女が男に無条件で怯えることがあるのは、多分そのせーだと思う。
私は大きな女だから、多分人よりもそのことに敏感だ。




一駅めで高校生は駅に降り、私に小さな声で礼を言った。
向かい側のサラリーマンがいて、怯えていたので私は威嚇を続けた。
目を合わせてはいけない、断罪をするつもりであってはいけない。
そんなことをしてはいけない、蓋を開くよーなことがあってはならない。出来うることならば、怯えることがあってはならない。小さなライターの小さな火だ。
相手を見ていれば、手の平を焦がすくらいで済むだろう。
最悪、私の場合は女だから、顔を焦がすことになっても、私にはそれほどの障害にならない。顔に傷が出来ても、それが醜く爛れても私はそれを晒して歩く。


そーした時に、人が奇異な目で見ても。
それをどうしたら明るい同情、仕方のない災難の被害者だと認識を変えることが出来るか私は知っているから多分なんとかなるだろう。
(つーか、大概怪我が多いよ...orz)




二駅めで私は降りるので。
どうしようかと思っていたが、その男も同じ駅に降りた。
少し歩くのを遅くして眺めていたら、ライターを見下ろして、それをポケットにしまっていた。私が知っているのはそこまでで。
要は単に、それだけの話だ。


そのことはあまり人には言っていない。
それで済んだからいいけれど、もし私が火傷を負うよーなことになったのならば、あの女の子は気に病んだだろうかと。
そんなことはだいぶたってから考えた。


私は怪我をしない自信があったというよりは、その子が焼けるよりは自分が焼けたほうがマシだと、これはもう何十回考えても同じ結論が出てしまうので。
同じことがあったらやっぱり何十回も同じことをしてしまうだろう。
目の前で誰かが焼かれるなんてものを見るくらいならば、己の体に刻印が出来てしまったほうがよほどいいと、私はそーいうふうに物を考えてしまう。


私は怪我に慣れていて。
他人の視線に慣れていて。
誰かの悪意にも案外慣れている。




彼女は怯えていたし、私に感謝はしただろう。
けれど私は、もし小さな火ででも炙られていたら、そのあとをどうするかじゃなくて、その時点でちゃんとその子のために笑ってあげられただろーか。
気にしなくていいと、本気で信じさせてあげられただろうか。
そのことをひっくるめて、それでも体を滑り込ませたほうがマシだったろうか。


その答えはまだ上手く出せていない。
間違っていなかったとは思うけれど、正しかったといえることではなかった。


だから、その男が、私より小さくて助かった。
もしかして、そんなつもりはなかったのかもしれない、なんとなく火を着けてしまっただけかもしれない。本当に誰かを燃やすつもりだったのかもしれない。
たった百円の、誰が持っていても不思議のないライターにすぎない。


しかしいずれにしろ、その分岐は私には選べない。
男にも女の子にも、サラリーマン氏にも、私が関っていることで良い方向であったのだろうかということを考えるくらいしか道がない。
もし贅沢を言ってもいいというの誰かが許してくれるならば。
記憶するのならば、そーいう女がいたと覚えていて欲しい。
男は誰も焼かなかったのだし、同じことをしよーとした時に、また自分を威圧した、かけらも怯えなかった奇妙な大きな女のことをなんとなく思い出してしまえばいい。誰も焼かなければいい。出来れば誰も脅かさないともっといい。


女の子は、火を着けようとした男よりも。
体を滑り込ませた私のことを覚えるといい、私だけでなく、同じよーに助ける人間がいるのだと、そーなる可能性がある人がどこにでも少しずつでもいるのだと。
そーいうふうに考えるといいよーな気はする。