『南極物語』

渡瀬さんのがメインじゃーん?!

『南極物語』
監督:蔵原惟繕
出演:高倉健渡瀬恒彦


ぬいぐるみが可愛くないと思います。
あと、――リアリティを高めています!


みたいな言い方は、間違ってはいないんですけれどもなんかどーかと思いました、緻密に作るのは正しいと思うんですけれども、緻密に作りました、と表明すると微妙というかなんというか(in ディズニー版の予告)。


ちょっと別のところに書いていたんですが、「撮影の中で実際に犬が死んでいるのではないか」という意見が一つ出てきたら、そのあとのレビューが全てソレを踏まえなきゃならない、みたいな半ば言論統制みたいな調子になっていて(inレンタルサイト)。
ああ、人間て心優しくないといけないんだなぁと。
変なことを少し考えてしまいました。




まあまず反省すべきは。
お涙頂戴的な話が大好きな国民性っつーか、人間性からじゃあないんでしょうか、瀕死とか危機一髪とか九死に一生とか大好きだよなー?!
私もまあ嫌いじゃないよーっ!!
(実はあんまり好きでもないんだけど、人間性が優れているとかは無関係。)


なので、まあそれなりに、適当に別のことをしながら見ることにしました、あー、難病モノなんかもこのスタンスで見ればいいのかもしれません(疲れるぢゃんアレ)。


前半は、犬&人の南極基地生活。
後半は童話かー、誰が確認したんだ、みたいなナレーションのある(実に渋くていい声でしたともっ)≪犬のパート≫。と南極から戻った人間らのパート。
人間パートってば生臭い。。。




犬と人間を秤に掛けたら、かなり悩んだ末にがっこん、と犬のほーに傾いてしまいそーな南極隊員(as渡瀬恒彦)がなんつーか、、、えーと、阿呆で犬馬鹿でちょっとその辺はよろしかったよーな気もします。
周りもはらはらしてたんじゃなかろーか。
この人に「なら一人だけ残ればいい!」(嵐の真っ只中の無人の基地に)とか言ったら、勢いで行っちまいそーな気がしないでもありません。


そもそも筋に触れるのを忘れていたんですが。
南極基地がありました。日本産。
嵐が来たので閉めることに相成りましたー。


犬がー、犬がー、置き去りにー。


と、ゆうよーな話でございます。
うんまあ、確証はないんですが、微妙に人命というよりは資材節約面での置き去りになったっぽい感じがするんですが(ソレは登場人物にも観客にも明文では伝えられないものの、なんとなく表現の含みってあるよね)(もしかしたら、言っちゃいけないけど言いたかったのかもしれない)。
何分にも画面の向こう側で、「犬、犬ーーー!」とか超叫んでる人がいますもので、いまいちその部分で突っ込みにくい。というか、すでに突っ込みがなされてます状態。




この人がまー、もともとはそんな犬がどうこうではなく。
前半で犬使っての南極行脚で(とても適当にながら見してたネ)、一番下っ端だったので(精鋭隊員以外だと少し上のほーですが)一番一番すっげー苦労しているうちに、もはや動物とかじゃなくて「仲間」としか思えなくなっちゃったんだろうな、というのがなんとなく伝わってきました。
可愛いとか可哀想とか。


そーいうんじゃなくて、私たちがちょうど、人間の命をソレが危機だってわかっていたらなんか無条件に応援してしまうよーなそんな感じなんですよ。


その辺は、良かったと思います。
あと、犬がふかふかで実に可愛かったデス。
リ、リキとか風連のクマとか、タロジロ兄弟とかに萌えても許されるかな?!
(人道とか以前になんか問題があるよーな気がしないでもナイ。)




なんて言うのかなぁ、つながりとか悪いんです。
多分実話が元なんでしょーが、人間パートがなんか泥臭い。というか生臭い。泥ならいいのか、うん、南極のシーンは泥臭い。
でも隊員たちが戻ってきた人の世界は「生臭い」。


それはなんつーか、レビューなんかにも現れてしまうように「かくあらねばならない」みたいな意識が優先して、人道的なことを口にする。けれどなんだか虚飾っぽい。キレイゴトを口にしているから、なんとなく強制されて言わされてでもいるように見えてしまう。


南極の泥臭さと、数名の隊員の嘆きと、犬を飼っていた少女らと。
あとは童話かと見紛うような犬らのシーン。


それだけでも多分上手く映画は作れたんだと思いますが、私はどちらかというと、このつながりの悪さがこの映画の本来の価値なんじゃないかなーと。
むしろ実際、あんな虚飾だらけだったのかなとも思わせてくれるというか。
感動はしませんでしたけれど、なんだか、嫌いでもないです。
それでもちゃんと美しいものもありましたしね。