『処刑人』前半

美少年なのかー(←紹介文で見た)。

『処刑人』
監督:トロイ・ダフィー
出演:ショーン・パトリック・フラナリー/ノーマン・リーダス
  /ウィレム・デフォー


あらぬ筋の女性に、いまだに(古いんかな?)支持されているという知識のみでトライ、つーか、大概私にはB級耐性があると判明してきておりますのでその意味での不安はなかったんですが。
「好意」が好きという趣味丸出しのセレクトでございました。


や、純粋に好意のみってのが好きなんですよ。
ミーハーファンの方とかがこの世で二番目くらいに正しいファンの姿だと思ってますが、あれはいろいろ、余計な感情が混ざるので純粋な形を維持するのが難しいですよネ。
(なんの話をしたいんだそもそも)
(一番正しいと思うのは、子どもの憧れですが。)




まあ正直、あらすじすら知らんかったので、タイトルを見て。
さぞかし、とっ散らかった話なんだろうと思ってましたごめんなさい。
ものすごくなんかぎりぎりに、B級耐性ラインすれすれのところを軽快にかっ飛んで行って最後まですり抜けたっつーのが今の感想です。


いつものことながら些か前衛的な表現でごめんなさい。


最初から、見る前からどこかで「ストーリーに関して諦めよう」。
どこかでまともに考えることは止めることになるだろう。
と思い続けて最後まで、なんだかんだと、うーん。
子どもに見せてもぎりぎり構わないかもしれないという気がしないでも。。。
(ソレはさすがに気の迷いだと思うな。)




なんつーか、「てめぇがどうなろうと知ったことか」って話あるじゃないですか。
意図に反してな場合ももちろんあるし、そんなことは最初からわかっている場合もある。特撮もたまにそーなるし、B級はまあ大抵構わない、ドラマ(は多分致命的)も。
逆に人が死にまくる悪趣味な話で、そーいう「命の重み」みたいのを描いていたら見る人がむしろ減るでしょう。なんつーか、悲劇に酔いながら作ったみたいで気色悪い。
(戦場舞台だと、実話が元のせーかどーしても数があるわけですが。)
(実話フィルターが装着出来ない人には辛いモノがありますな)(実話だから特別なのよ特別なのよ! 的な)(だからなんで関係ないところで喧嘩売るか。)
(コレは兼ね合いが難しいと言ってるだけです、成功してるのもやっぱりあるし)
(『シンドラーのリスト』なんかかなり好きですし。)


実際には死人が出てないってのが致命的なんですよやっぱり。


でも昔はちゃんと信じてたんですよー、観客。
画面に映っていることは本当だと思っていた。
むしろ観客が映画を見るのには退化してしまったのがいけないんでしょうネ。
まあ映画を見るために生きてるわけではないので仕方ないわけですが。




この話って、軽視をしているというか重視をしているというか、うーん。
統一意思がないんですよ、なんだかんだと。
それぞれがそれぞれの物の見方をしている、中盤から人がとにかく殺されまくるわけなんですが、殺される側の内面なんてのは描かれない。「むしろ描いていない」と見る向きもある(いい読みだと思います)。
いや、どんなに悪人であるか、という、言い訳めいた部分すらないんですよ。
彼らにも人間的な部分があるヨ、なんてことを問題にしてるわけではなくて。


なんで殺されるかの「理由」すら触りしか描いてない。
それなのにどーして話が成り立つのかというと、主人公兄弟(処刑人)が、そもそもそれくらいしか知らんで殺してしまうからです。
そこに個人的な恨みはない。




シロウトなのに鮮やかな手付きである、というのもぎりぎりで納得が行くのですよ。「殺し」は本来興奮するものでしょう、殺し合いの場面で、それこそゲーム並に落ち着き払っていた(なんの思いいれもない)のなら、そして仕掛ける側であるのならば、プロフェッショナルのような手際になってもそうは不思議ではない。
しかもさあ、恨みとかが主じゃないし、なんの利害関係もなにもないもので。
完全に不意打ちなんだよねー。


そのラインで話が「馬鹿馬鹿しくなる」ということはまああまりない。
(皆無とは言いませんが、B級好きでなくとも、適度にヒネてたら充分でしょう。)
だいたいがさー、兄弟もそもそも「偶然上手く行っちゃったんだ」とほとんど呆気に取られてる感じなんだよね。
リアリティというのならばそろそろ調子に乗って、自分たちの手際にうっとり酔いしれてなきゃならんのでしょうが、別にそんなリアルはいらん。


つーか、その陶酔の役割は偶然殺しの場所で出会った、元からの友人。
組織の下っ端運び屋のにーちゃんが引き受けてる、という自浄作用すら働いてる。


そもそも映画の筋に触れろよ!
という感じに後半に続く。