僕のエンタテイメント。

発信側ではなく享受者という話。
ならなんだこのタイトルはという突っ込み可。


なにを隠そう小生意気だった(当社比?)小学生時代、私は時代劇は馬鹿にして見ないわ、特撮ヒーロー物は見ると笑う。
なんちゅーか製作者の意図に乗るもんかっ!
という意味込みも荒い餓鬼でしたとさ。
傍から見れば痛く、多分痛々しくもあったことだろう。。。
まあ、同じようなことを今も別のところでしてるのかもしれんが。w


ある意味で、それもそれで歳相応の反応だったなぁ、と今になると思うわけですわ。
つーか、なんでその時期に素直にいろいろなものを楽しんでおかなかったんだよ、勿体無いorz
まー、それとも、それもそれで私の人格の中に含まれている弱さなんかね。
なら仕方がないと言えなくもないのか。
この歳になってから取り戻そうというのは、大変だけれど楽しくもある。


捻くれた観方しかしていないんだろうなぁ、とは思うけれど、もっと素直に物語りを信ずるヒトらの言葉も熱弁も、結構楽しく聞ける。いや、かなり好き。
自分が出来なかった、出来ないことだからなおさらなのかもしれない。
でも、たまに「アナタはそうじゃないよね?」という視線や態度に出会うことがあるのですわ。
それで思ったのは、単に私は、こういう目で見られていただけなのかもな、ということ。
単にちょっと感受性の鈍いヒト、ね。
私自体は今は歳を取ってるから、チャレンジするだけでも結構スゴイという扱いみたいなんだけれどさ。w


“物語り”を物語りとして、楽しいものとして見ることが出来ないのは、別に恥ずかしいことでもなんでもないけれど、逆に、だから偉いのだ、というのは正直、そうやって考えてみると頭のねじが緩んでいるような気がしないでもない。。。
誰に謝らなくてはならないようなことではないのだろうけど。
私の過去の思い上がりはかなり恥ずかしいことなのかもしれないなぁorz




結局のところ、周囲を「物語りを楽しんでいる」のだと思っていたら自分がどうだろうと見下したりなんてするわけがないんだから。
てことは多分、皆が「架空と現実の区別がつかないのだ!」と思い込んでいるってことになりかねない。


そしてその勘違いだけならまだともかく、「だから、物語りを楽しまない自分は皆よりも優れているのだー」というふうに思っているのだとしたら、どちらかというとそっちが妄想かなーと思わないでもない。。。


とほほ。