『恋人はスナイパー≪劇場版≫』

よく考え(なくても)ネタバレだよな。

『恋人はスナイパー≪劇場版≫』
監督:六車俊治
出演:内村光良水野美紀


テレビドラマの特別篇なら良かったんでないでしょーか。


そのレベル。てか、同意見多数っぽい。
美談にしてんじゃねーよ、と終了後に思わせたところがかなり痛かったかなァ私的に、ドラマのほうは好きだったんだけどなぁ。
俳優さんらはなんも悪くない。
特にヒロイン、それと主人公。
こんだけアクションができたら、いいよなぁ(その意味ではヒロイン!)(主役格女性のアクションとしちゃあ『ドールハウス』入れても多分一番かなぁ)。


話がね、浮いてたんスよ。
ぷかぷかっと。


つーか、この話、そもそもおとぎ話だったんスよね。
そこにファンタジー入れたら致命傷っしょ。
ラストで主人公が死んでも、ちっとも悲しくない。また話に出してしまいますが、ドラマで引き裂かれた時のほーが、よっぽど胸に迫った。
この作品にとっては多分「死」は美化にしか見えないのかもしれないですね。


でも、そもそもそう思わせたところは悪くなかったんかもしれません。
いや、どっちゃかというと。


――死んでんじゃねぇよ。


というふうに、登場人物に向けても(作り手にも向けてたから痛みわけっぽいけど)思えたのは、うーん、でもやっぱり俳優の力って気がするんだよなぁ。。。




1億2千万人が「誘拐」された、という話だそーです。
そこは(わりと)どーでもいい。
無差別狙撃事件が起こりました。


バッチを五千円で買うと、狙撃されない、とのことでものすごい勢いでバッチが売れました、バッチ自体はそれなりに善意のおっちゃんのものです。
日本でないと成り立ちにくい話のよーな気もしましたが。
いかんせん、その辺の兼ね合いの中での緊迫感はありませんでした。


ウォン・カイコーという(覚えた)、すでに250年の刑に服していた凄腕のスナイパーを引っ張り出してきて、協力をしてもらうことになりました。
でもって、テレビ版ではヒロインの淡い恋の相手でした、と。
元は正体は知りませんでした、というか。


ウッチャン良かったよねー。
絶対これ、変に顔のいい男とかだったら、好きになれないとかまで思いましたが、単に「彼」のことを気に入っただけかもしれません。俳優変えて、イケメンとやらにしたら不肖わたくし殴りこみに一つ参加しますぜ。
あと、竹中直人さんも良かったっす。
でも、中国人中国人つーてて、全員日本人キャストなのは本当にどうなんでしょうね、まあこんな映画に出ねーよ、とか言われてたらしゃあないんですが(どういう視点)。




そいでまあ、その善意のおっちゃんから金をどう奪うか、とか。
ウォンが、昔の仲間が迎えに来て逃げ出してしまうとか(そもそもその組織を名乗ってた相手が犯人なわけですが)。
ヒロインが責任を押し付けられて殺されかけたりとか。


薄かったです、、、なんでさ。;
なんつーか、すでにこの話は、ヒロインとスナイパーであるウォンとの関係が一番の重要軸で、それ以外のところは瑣末ごととしか見えないのかもしれないです。私に限らず。
ウォンが裏切る「かもしれない」という程度の揺らぎでもあれば、全てに緊迫した状態になったのかもしれませんが、かけらほどもそんなことはなかった。


そうなるともう全て、作られた障害、としか見えない。
ラストの直接対決は別ですよ? でもね。
なんで彼の死で話が閉じるのかわからない、意味も。
ヒロインに責任がいかないようにするため? それは死で好転するものか?
そういう状態には見えなかったんだよ、どうあろうと説明が足りてない。




逃げてんじゃねーよ、死んでんじゃねーよ、と毒づきました。
たまには素直にね。
ヒロインの婚約者(良い男だ)と、ウォンの会話もなんとなく好きです、死ぬ意味があったって思えないんですよ。そーいう話じゃないだろうって。
続きが見たいって意味じゃなくて。
ただ、そーいう「美しい」結末が見たいわけじゃなかった。
社会とか関係ない。


キャラクタ好きでした。
こんなふーに死んで欲しくなかった、生きて、苦しい思いをしていて欲しかった。


アンタの揺らぎと滑稽さとそれでも優しさが好きだったんですよ。
死ぬなっては言わないけど、美しくってのはないじゃないかなぁ。