≪男尊女卑≫は正しいと思う。後半

昨日の続き。


まず「村」「家」という生活単位を考えてみる。


どうして「女」が命令を聞く立場であるのかというと、「女」が必要不可欠であるからでしょう、少なくてもなんとかなる、交換可能の「男」と違って一定数を確保できないと、すでにもう滅びが決まってしまう。
死活問題ですね。




これを表すモデルとして。


蜂の社会がいいんじゃないかな。
トップに女王蜂、その下に雄が数匹。
あとの働き蜂は生殖能力のない未熟な雌です。
女王蜂は基本的に巣に一匹ですが、彼女にもしなにかあった場合、別の個体が女王蜂になります。
この、「女王蜂」ってのは単純に体の構造です。
間違って二匹出来てしまった場合は、ちょっとした争いになりますが。
(あ、しまった、巣を別けることもあるんだった。;)


これを人間の一村落、もしくは家に当て嵌めると。
女王蜂に相当するところに「男」、女王蜂ほど身体能力が優れていないのでこれは複数人数が存在します。
(一つの意思に貫かれているほうが「村」「家」としては当然に優れている。)




その下に雄の蜂。これが「女」。
これも当然蜂よりは個体数が多くなくては組織維持が出来ませんね。
昆虫より生殖能力が劣っているのは、高等生物なので仕方がありません。
(「劣っている」のです、その代わりに身体能力は優れているのですが。)


そしてその下に、働き蜂。
これが「男」になれなかった、人間男性体になるでしょう。
多分、働き蜂ほど数が多くなくてもいいんじゃないかな? 人間の社会は、働き蜂の替わりにもっと下の「社会」から搾取するという構成になってますからね。
でも「男」がいなくなった時のために、多少は働き蜂はいたほうがいいよね。




雌(特別個体)/雄/雌(未熟個体)
という蜂のモデルは、ちょうど人間とは性別が逆転してて面白いですな。w


個体数は左から右に多くなるのが美しく望ましいのですが、人間はそうはいかないのでちょっとごたつくんじゃないかしら?
≪男尊女卑≫の社会モデルってのは。
要するに完全管理された蜂(蟻なんかもそうね)の社会の劣化版です。




現代も人間社会の一部にこれは残っていて、別の言い方に言い換えると。
エリート/そのサポート/有象無象


エリートの男が、自分を補佐する女(や男、必ずしも生殖能力が必須じゃないし)を求め、それに自分の命令への服従を求めても別に差別じゃないでしょう。
きちんと過去の≪男尊女卑≫は正しい形で残ってます。
生活能力が非常に低かったから、昔は個人の自由意志を無視し、昆虫のように振舞わなくちゃならなかったし、それは仕方がないことと思っていますが、現代版≪男尊女卑≫は個人の意思がちゃんと反映されています。
(もちろん、誰の意思でもってほどにはいかないけど、それでも昔よりはずっと行動の採択の幅があるでしょう。)




このエリートの中に、ぽつぽつと女の姿があるのが現代の進化でしょうね。
(サポートの中に男性がいるのは、実はわりと昔からです。)
この割合はもっと増えるかもしれませんが、私は多分、「エリート」の中の男の比率はずっと多いままなのではないかと思っています。


これは確証がなくなんとなくなんだけど、頭(エリート/「男」/女王蜂)ってのは、いざという時、破壊に長けてなきゃなんないと思えるのだよねぇ。
もちろん、武力だけに限った意味じゃないよ?
それは人間の場合、男/女で比べると、男のほうが優れてるのじゃないかしら。




私の考える≪男尊女卑≫とそれが正しいという意見でした。
要は閉じた管理社会を維持するには、全員が漏れなく「役割を持って生きる昆虫」のように生きなくちゃなんないということですよ。


それが素晴らしい、過去に戻そう(いるんだってば)、という意見にはあんまり賛同ができないなぁ。うーん。
(現代のエリート/サポートも、物事を進める方法として間違ってないとは思いますが、必ずしもその「形式」だけでもないよね。)
私は昆虫ではなく、一応高等生物なものでどうもね、ごめんなさいね。


あははは。w