「のだめカンタービレ(1」

のだめは可愛いんかね?

「のだめカンタービレ(1」
 二ノ宮知子講談社


ピアノが弾けりゃあいいなぁ、くらいは誰でも一回は思うのではないでしょーか。


たらららら〜ん、とさらっと弾いちゃったりしたら、なんとなくカコイイんではないかとくらい夢想することはありません? でも「それ」が大変だって、ほとんど大抵のヒトがものすごい努力の果てにしかそうならないことをなんとなく知っている。
現代人と音楽、てのは、ちょっと不思議な位置を持っている。




これは明らかに近代もすぎて、現代に入ってから、んー、多分、高度成長期もすぎちゃってもしかしたらバブルなんかも弾けたあとかもしれない。
昔はそんなことなかったろうなと、(歴史趣味の)私だけでなく、そう言われるだけでなんとなく納得する方も多いんではないかしら。


うんまあ、なにが言いたいかというと。




本っ当に大変そうだよな、お前ら。


てことくらいでしょうか。
駄目人間代表みたいにされてる“のだめ”ですら、それも生来生まれ持った「天才」と言えるほどの能力を持った彼女ですら、ほんのかけらほど気を抜いたあと、あっさりと弾けなくなってしまうんですよね。
てことは、作中で弾き続ける彼ら彼女らは。
努力を練習を、もう当り前以前のこととして続けているってことなんだなぁと。


そーいうこと念頭にあると生活が乱れてても、馬鹿にはできないねぇ。
(いや、初読みの時にそこまで思ってたわけでは。。。)




もしかしたら音楽を含めて、逃れがたい“性”の話なんかもしれんです。


てかねー、めんどーだと思うんだよね。
のだめみたいな性格じゃなくても、千秋ほど激烈に攻撃的に音楽を愛してても、でも中にいたら嫌なこといっぱいあると思うんだよね。どこにいてもだけどさ。
順位付けのようなものも当然。
それ以外にも技術の壁、知識の壁。一日でも楽器に触れなければ鈍る感性、動きにくい指や腕、体。そしてそれを常に意識しているということ自体。


私の指を見て(異様に長い)、唐突にうっとりと「ピアノをやるべきなのに」と言った子が昔いたのですが、別に音楽の話をしてたわけじゃないのですよ。
それに、私の手は、まあ美しいといえなくもないのですが、若干異形の括りに入るもので、まあ大抵のヒトは驚く(少女漫画のデフォルメした手みたいな形してます、そのまま描くと美術で減点されるorz)。なのにそれやこれやをすっ飛ばして、ピアノが一番優先に来ちゃうんだなぁと。


それはある種、精神のほうの異形なのかもしれないですね。
いや別に、私の手くらいの意味ですが。




けれど、のだめも、努力と情熱が伴う真性の天才である千秋も。
この巻で出てくるヴァイオリン弾きの金髪つんつんなにーちゃんも、なんかフツーでもあるよね、千秋特に完璧とか周囲に言われてるのに別れた彼女にクダ巻くし。
てきとーに大きいこと言うし。
のだめはまあねぇ、奔放というより困ったちゃんだし。


音楽に関る特別な部分と、普通の部分。


音楽という特殊な基盤を持つというのに「普通」の部分。
指導教官と意見が合わなかったり趣味が合わなかったり、意に沿わない理に適わない評価付けをされてしまったり。
美しい音に、ついふらふらと惹かれてしまったり。
(そいでその音を出す人間とのギャップに驚いたり。w)




千秋は確かにお人よしの面はあるけれど、のだめがピアノを弾いていなかったら、そしてそれが彼すらも驚かせるような“天才”のものでなかったとしたら、彼は彼女に関ろうとはしなかったと思う。
あくまでも「ピアノ」が目当ての関係で。
ただ、一度関ることになったら、のだめという人間そのものが、千秋という人間性にまで影響を及ぼしてくる。
しかもそれは、とても良い方向へのようなのですよ。




ぼやっとした落ち零れ専門のピアノの講師が仕掛けた、「千秋への特訓」がとても好きなんですわ。w
誰かに“きちんと”与えるということと、与えられたものを受けるというのは、とても密接に関ったことなのかもしれませんね。