『ハウルの動く城』

ハウルの動く城 [DVD]

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≪密林.com≫

木村拓也って人は、「格好つけている」ことがだだ漏れのところが可愛らしいんではないかなと思う。
好きも嫌いも、、漢字調べちゃったよ、検索でorz
彼がヒーローのハウルの声をあてているんだそうな。




ソフィーは好きだ、つうか、周囲にいる、ていうか具体的な顔が思い浮かぶ。
人に気ぃ使って、なんか結局自分を踏み躙っているんだけれど優しい子、好きだけど正直あんまり可愛いというわけでもない。
身勝手なんだよね、戦争の真っ最中。
並の上程度の容姿を持っておきながら、華やかな妹と勝手に自分を比べて、一方的にコンプレックスに浸ってる、美しくはないのかもしれないが誰が見ても「醜かぁない」。


だからリアルだよなと思った。


や、こんなもんでしょう、世界中50億人の平均値を出してそのどこら辺に自分が当て嵌まるかとか。
自分の生きる環境において「容姿」の比重は高くないとか判断する人間も、いるにはいるけど、それはそれで可愛くないよ。w
それが「正しく、気にすべきこと」だとはソフィーも思っていなかろう。
だけれども、それでも気になるもんなんだわな。
容姿じゃないけど、私も覚えがあるよ、今思うと馬鹿らしいよ、んでもそう感じてた自分は嫌いでないし、わりとたくさんの人がそうなんではなかろうか。




ソフィーが駄目なら、この映画はもう駄目っぽい。
だって、正義とか大義とか、なーんもないもん。
戦争で焼け落ちる街や人々なんて書いておきながら、国のことなんて世界なんて、気にも掛けずに「家族皆で幸せに暮らしました」で終わるし。


どうなったんだ国?!!


とは正直思った、思ったが、それで評価とかをマイナスにするつもりはない、欠点を私がつけるとしたら別のところ。
だってそういう主人公がソフィーという少女だもん。




ハウル”は単品なら嫌い。
外見の美しさなんてのはどうでもいいけど、あの指先、歩き方、動きのひとつひとつにまで気を張り詰めたあの“美しさ”がどうにも疲れてしまう。
どう他者から見えているか、理解し尽くしてるんだよね。
そいでもって、それが全て。
価値観から生活からなにから、それだけが重要で。
戦争を嘆くことも、拘束を嫌うことも美意識のひとつでしかない。
からして「美しくないなら生きていても仕方がない」なんて言葉が出てくる、すげー見苦しいシーンだ。


だって彼の、ハウルの美しさの有無なんて、やっぱりそうそう誰も気にしてないから、嘆かれてもなんじゃそりゃとしか思えない。
作中人物も、観客も多分同じ。
否定派だって、だからどうしたという感情は共有出来たろう。
あると嬉しいって人はいるんだろうけどね。


生まれて始めて魅了された、完璧に(見えた。w)美しいハウルが、がらんがらんと全壊してしまってソフィーは泣く。
理不尽に老婆にされても、誰を恨むでもなく、自分の未来を特に嘆くでなく、わずか半日で状況に順応し、どっからどう見ても前より数倍いきいきと跳ね回るまでになっていた彼女がだ。
彼女の“ハウル”ってのは、そういうもんだったんだろう。
その瞬間まで、醜いことを許せる存在じゃあなかったんではないかな?




んで、やっとこ話が始まる。
少なくとも好意や憧憬なんかでなくて、愛というものがあるのだとしたらそれが生まれたのは、その瞬間だろう。
掃除のしすぎで、ハウルの髪の色が変になって。
んで、原型を留めないくらいに崩れて取り乱して、である。
戦争の結果の焦土は脇にはあるが、この時点のふたりから遥かに遠い。
そんなこたー、どうでもいい。


そいで、外を向き始めたふたりは、今度は今度で愛のためだけに生き始める、確かに愛を注ぐ対象はぽつぽつと広がってはいくけども。
大義なんてぇもんは、ハウルの格好付けと、身の安全を計るという中以外のどこにも結局終始見られないまま。
ただ数人が幸せに暮らしてるというだけの光景で幕が閉じてしまう。




大風呂敷を広げておきながら極小に畳むというその、支離滅裂というか、ひょっとして途中でテーマ変わったんと違うかといういい加減振りがね。
私は意外と好きなんだよな。なんでかな?