『ブラックホークダウン』

『ブラックホークダウン』
監督:リドリー・スコット
出演:ジョシュ・ハートネットユアン・マクレガー
  /トム・サイズモアエリック・バナ


――ブラックホーク・ダウン


という、報告の口上が結局なによりも記憶に残っています、“ブラックホーク”というのは戦場ヘリコプターの名前、それが墜落したのだというそういう状態で。
それが映画のタイトルにまでなっているのは、多分、それがなんというかゴングのようなものだったんじゃないのかと思えるんですよね。悲劇の。


これは確か、実話だという話なのですが。
そう、それでなければあまりにも救いがないというか意味がない、膠着状態の戦場を行き来する米兵が、ある日ヘリコプターから落ちました(墜落より前です、本当の「最初」はそこになるわけなのですが)。


そしてそこから現地兵との殺し合いになりました、などと言ったらわけがわからない。


けれど、それが「実話」なのですよね。
その直前まで、さーて翌日はなにをしようか、退屈だ、ということを笑い合っていた。装備が重いからと手を抜いてしまった彼らはほんの一瞬のその境い目を越えたところから、紛れもなく戦場以外のなにものでもない場所に立たされる。
というか、殺される、ここの彼らに、ほとんど攻撃意思はありません、なんというか生き残るのに一生懸命でそれどころではない。戦略的にも特に価値があるわけでもないので、襲ってくる相手を潰す、という以上のことが出来ない。


けれど、相手方の憎悪は本物です。
それはなんというか彼らが「正義」だから。




その意味や是非を、こんなところでこんな形で語りたいのではなくて、少なくとも武器を持って特に攻撃意思のない彼らに襲い掛かってくる相手に、映画を見ながらただ同情するというのも奇妙だし(この映画を見なければいい)。
ならば米兵が美化されているのかというと、そんなこともないんですよ。
彼らの行動は淡々と描写されているだけ、身内を救うのに必死な上官はいくらなんでもいるでしょう、逃げるのに精一杯で殺すどころじゃない、というのは例え周囲の状況からの推測でしかなかったとしても“事実”とは違ったとしてもそう演出して不当ということもない。


兵士一人一人の中に、多分実際悪はないんでしょう。
けれど、それでも、彼らが愚かだと見えないこともなかった。
行動がどう、ということでもないのです、あまりにもあっけないきっかけで、どうにもならないほど減っていく。


どこに分岐点があるのかといえば、一番最初。
兵士がヘリから落ちた時、そのまま見捨てて去れば良かったのだ、という、いくらなんでもそれ自体が非道な行動を取るしかこの悲劇を止める術はなかったのです。あとはもっと大きな話、戦争がなければ良かったとか、その街を拠点とするべきじゃなかったとか。
兵士がどうこう出来ることは全くありません。


少なくとも映画が始まってからの彼らの選択は(小さなミスはあっても)(ヘリから落ちた人はしょうがない;)間違っていない、けれど、薄皮一枚で首がつながっているのだというその状況自体がなんだか愚かしく見えてしまうのですよ。




そしてすでに起こった「悲劇」の中で。
彼らは完全な敵地であるその街から、基地になんとしてでも帰ろうと足掻きます、これは実話なのだからどこの国であるのかというのも当然あり。その当時の情勢というのもちゃんと映画に描き込まれているんでしょう。
けれども、私はなんだかそれがどうでもいい。


どこの土地であっても、もしかしたらどんな時代であっても。
これは起こりえたんじゃないのかと思えてならないんですよ、確かに立派な指揮官はいます、悪意はないです、襲ってくる相手だって、戦争なのだからそうする以外にない。
弱みに付け込まない立派さなんて、多分役に立たない。
現実、というか平和な場所とはルールが全く違うんじゃないでしょうか。


一台の高性能なヘリコプターが墜ち。
そこからもうどうしようもなくなった、戻ることは出来なくなった、多分米軍というのは、仲間を見捨てることが物理的に出来ない集団なのではないでしょうか。心情がどうとかいうより、組織を構成する大前提になっているのではないか。
(そう振舞わなければ、軍そのものが解体してしまうというか。)




人が一人、落ちるシーンが目に焼きついています。
そして、ヘリコプターの墜落を告げる声がはっきり記憶に残りました。


あとのことは、結構感動的なドラマだったのかもしれないけど、それなりの緊張感を持って最後まで見ることは出来たけれど、あまり覚えてはいません。
まあ悲劇ってそういうものなのかな。