『美の巨人たち』藤島武二「室戸遠望」

まあなんというか、この人生じゃ自分の内心をバラすわけにもいかんだろーと。
実際、なんつーかどうなんでしょうね、新しい派が出来た時にそちらに参加していたら文化史に名は残ったんでしょうか、そうでもなかったんでしょうか。


それにしてもどうでもいいけどハンサムだよなこの人。
美男子がどうというより、非常に堂々とした紳士に見えます、わりと偉い人に珍重されたってのもなんか外見を見た段階で納得してしまうんですが。まあさすがに、生徒たちに人気があったというのは別の要因かと思いますが。
(案外わからねぇ、見目が良いと話しやすいってことはあるもんな。)
(例えばだ、でぶっちょとスマート、どちらが子どもの共感を得やすいかというと、、、キャラクタに寄るわな、優しそうな人はやっぱり人気あるしなぁ。)


彼はビンボーさんだったそうです、しかし偉い人が近所におり。
その人物が芸術学校を立ち上げた時に呼ばれたんだと。


ただし、腕やら人望やらなにやらがその呼んだ人すら越えてしまったがために、なんつーか嫉妬されてしまったのか、かなり密かに冷遇されていた模様です。
まあ、表立って冷遇したらかなりみっともないしな;
しかし後世から見ても「あー、、、」と思うので、実際に彼らに関っていた人らにとってはもはや周知の事実に近かったんじゃないでしょうかネ。
男の嫉妬のほうが許されることが少なくて(まあ社会的に)、表に発散されることが少ない分長く続いて難儀だよなー、と思います。特に自分のほうが地位や立場なんかあって、挙げ句の果てに最初のきっかけを自分が与えた、地位的には上だってなるとまあほとんと悲劇としか言い様がありませぬ。


でも、藤島さんが悪いわけではないけどな。
さすがになんつーか、その御仁もそこはぎりぎりわかってたんじゃないでしょうかね。それでもその感情を生涯克服することが出来なかったのか。


自分の内心なぞ、語ることが出来るわけがありませんわな。
んにゃでも、いっそのことそうしちゃったほうがおじさん(誰や)楽だったのかなー、いやね、実力と人望に加えて、「人間性」でまで上回れたら立場なしやもんね。まあそれが上回ってたから着々と腕を伸ばし人に信頼されたというからくりなのかもしれませんが。


つーか案外、その環境が修行僧なみに彼を鍛えたというのもありか。
切ないっつーかなんつーか、正直ウザいですけど(待てや)。


だってだってー、傍から見てるとなんかスケール小っさいよー、気持ちが全くわかんないでもないんだけど。藤島氏よりは劣っても、自由になる権力もちゃんとそれなりのてめぇの腕もあったわけで。
どんどん先にでも行かせて。
自分は自分で彼なんぞ目ではないくらい飛躍すれば良かったんじゃん。


いつまでも小さな世界の人間関係に拘るヒトって、ちょっとなんというか周囲の評価とか低くなんないですかね。藤島さんにとっても不幸だけど、当人にとっても不幸だよ。




でも藤島氏のせいじゃないけどな。
いなければ良かったと私でも思うけど、彼のせいではやっぱり少しもない。


日本画が、中国からの流れである水墨画の系統から抜け出して(ちょっと時代がズレてねぇか?)(えーでも、説明そんな;)、西洋の油絵が日本に入ってくる時代。
この国は一旦はよそ様の真似をしても、必ず自己流のアレンジを加えるんですが。
まあそんな時代の礎となったウチの一人でしょう、彼に嫉妬した御仁も含め。

 
Wikipedia藤島武二


つーか、文化勲章第一号か。。。
そして彼に嫉妬した人は黒田清輝か、うーん、私ですらなんとなく名前を聞いたことがある(日本画壇には疎いので多分なんかの番組か教科書かそんなところでしょう)、なんつーか、難しいというか、切ないというか。
芸術家ったって、雲の上の人種じゃあ当然ないんだなぁ。
(けどなんか西洋の画家とはエピソードの質が違うよね、と母と話しておりました、これは単に私らが東洋人、つーか日本人だからそう思うだけなのかね。)




しかし、反旗を翻した自分の学生たちの側にも付かず。
恩人である黒田氏とも距離を置いて、ますます黙し、ある時期から人物ばかりを描いていたのにも関らず、地方にふらっと行ってしまって風景ばかりを描いていたそうですよ。


なにを考えていたのでしょうね。
下世話ですけれど、今、画家としての評価はどちらが高いのでしょうか。勲章の数では勝ってそうに見えるんだけど、もちろんそーいうことでもないんだろうしなぁ。


不幸だったんでしょうか、けれどなぁ、黒田さんが彼のことを呼ばなかったら彼は生涯貧乏教師だったわけで。そう考えるとただ恨んでいたのかなぁ。
本当に、どうにかしたかったんじゃないかなー、とも思っちゃうんですが。意外と。