『友へ チング』

『友へ チング』
監督:クァク・キョンテク
出演:ユ・オソン/チャン・ドンゴン
  /ソ・テファ/チョン・ウンテク


なぁんとなくだけれど、最初に見た時から結末めいたものはわかっていました。
これが日本の映画なら、まあまだ違う結末もあるのかもしれないけど、韓国の映画ならまず「そこから」外れることはなかろうなと。単に今まで作ってきた映画の本数の違いというか、奇を衒わなきゃオリジナリティにすら怪しいという国とそーでない国との違いという程度の意味しかございません。
日本だって、昔の映画は皆ストレートですしね。


“チング”というのが友という意味なのだそうで。
そこには親友というか、ちょっと深い関係が示唆されているのかもしれませんが、そこまで語られることはありません。


一人はちょっと上の立場のヤクザの息子。
もう一人はその子分。
頭のいい青年、というか少年と(成長が描かれてます)、そしてうーん、要領がいい、という感じなのかあまり特徴が思い出せませんがもう一人。弁護士になります。




なーんというのか、ラストでヤクザ者の息子の二人は反目し合い、一人は死に、一人はその責任もないのにその責めを負い(なんというのかチングだから)。弁護士は訪ねて来てなんでだ、と聞き。
頭のいい青年に育った少年は留学して、ヤクザ者の二人をそれとなく避けています。
(まあ女性絡みの困惑もあるわけですが。)


四人の立場はあまり一定することもなく、例えば偉めヤクザ息子は、ずーっと一貫して頭のいい少年のことを特別扱いしているわけですが、ちょっと女に目を向けただけでその女の子を与えちゃったりとか(そんなことが可能な時点ですでに歪んでるといえば歪んでるわけですが)。もちろんそれがために拗れたりすることもあるわけで。


案外あとで与えた女の子(そんな始まり方であっても頭のいい少年はそれなりに関係を築いていってたのに)を取り戻して結婚だどーだ、とのたまっているのも、なんつーのかむしろ少年、、、というかその時点で青年ですが、彼への拘りの結果とすらも見えなくもないわけですが。
女の子も当然泣くし、青年も心穏やかではないわな;
そして当人はその間に、また別の、己の家業に絡んだことで自暴自棄になって麻薬にハマっておかしくなっていたりもしなくもないんですが。


そこまで拘ってることで、子分ヤクザ系のほーだって当然面白くないこともある。
それが後々の反発の原因かどーかまでは知りませんが、とにかく成長しきった二人の道も別れることになります。




ドラマチック、というほどのことは起こらず、あまり美しくもない成長、というかまあ、よくある年頃の馬鹿な青春劇に、裏社会に絡んだことがちらちらと顔を覗かせ、そのたびに少年たちを歪ませてはいきますが、そこから完全に逃れることは不可能だったかというと、当人もそれを望んでいたんだろうなとは思わせるわけで。


じゃあ主題はどこにあるんだろう、と考えると友だち、チングなんだろうかとやっぱり。


最初の辺りで、退屈で死にそうになっていた、というか実際にDVDをぶっち切ってしばらく見ていなかったシーン。四人の小さな子どもが頬寄せ合って、なんの屈託もなく、拘りも差異もなく、くーだらないことを言い合って遊んでいるシーンに他ならないわけで。
ごくありふれた子どもたちが、その後どんなふうに別れていくか。
そのたびに、道が完全に別れようとするたびに、誰かが(それが誰と完全に決まっているわけでもなく)、「チングだ!」と主張して他の面子を引き止めているというか、その一個ずつはやっぱりお為ごかしにしか聞こえず。
他の三人はなんとなく奇麗ごととしてとりあえず聞いてようにしか見えないんですが。


けど、言い出す人間はいつも違う、そしてしぶしぶに見えても、ずっと彼らの関係はどんなに細くなってもつながっている。その線上に小さな子どもの頃のシーンがある。




最初から結末はわかっていました、説明と少しの本篇を見ただけで。
そして快い展開が続いていたとはとてもじゃないけど言えなかった。


でもまあ、これはこれでいいかなぁ、と最後の最後まで見て初めてそう思えました。意図のわからなかったシーン、あまり気分がいいとは感じられなかった展開の意味は、映画の一番最後まで付き合わないとわかりませんでした。


彼らの人生はまだまだ半ばにも達してなくて。
一人は完全に絶たれちゃったわけだけど、そしてもう一人もその責をずぅっと背負っていくことになるんだろうけども(いくらヤクザちゃんでも生き急ぎすぎだよなぁ)。


それでもこれからは友だちとして安定していくものなのかなぁ。
せめても友が救いだったっていう、そういう話なんでしょうか。