#26 超兵器R1号

「血を吐き続ける悲しいマラソン」というのは、ぶっちゃけよく意味はわかりませんが、かなりのインパクトがある台詞らしく、下手をすると特撮関係ではないところでもたまに聞いたりしておりましたが、40年ほど前の("07時点)この番組が元ネタでしたか。


いや、意味はよくわかりませんが。
血を吐いても走り続ける、ということを詩的に言い換えているんでしょーかネ。


しかしマラソンはあくまで競技なんだから途中で誰かが止めるよなー、とか考えてしまう辺りが頭でっかちというか、清清しく馬鹿じゃねぇかというか(後者で)。
というか、とある一つの兵器をとある国が開発したら、次にもっと強力な武器が出来るだろう、そうしたらどうするか、そうしたらその次は?
というのは、下手するとアレクサンダー大王の伝説に(ばっちり紀元前)同系統のが残ってる気がしますし、もっと昔からあった気もしますが、これとほぼ同じ言い回しは、フィクションの中でも見掛けるし、現実の世界でもやっぱり聞く。
兵器開発の矛盾の中にもあるのかもなー、と思うんですが。


これは時代の流れを受け止めたのか、それとも彼らが言い出したことなのか。
よくわかりませんが、今わりと当り前みたいに考えているそれ、「強い兵器を持つことは平和への手段ではないよ」という感覚を作ったのは、下手をするとこの番組もそれに加担したんじゃないのでしょうかね。意味はわかんなくてもなんとなく記憶に残るもんな。


血を吐き続けてもマラソンするんだもんなー、意味はよくわかんないけど(しつこい)。




「星をも壊す」超兵器を作る、という話ですな。
ところでダンさんじゃなくてもそれは必要なのか、と思わないんでしょうか。いくらなんでも侵略者を退けるのに星を壊してどうするんですか、星ごと丸ごとの侵略じゃなかったらどうするんだ、それをどうやって確かめるんだ。


と考えてしまうのも、私たちがすでに“そういう思想”を持っているからかなー。
核の平和が唱えられてからももう随分経っているし、一見問題がないその理屈に矛盾があるってことも大抵の人は知っているわけですし。


武器の開発すら、クリーンな方向、なるべくピンポイントに「殺す」という傾向に向かっているそーですし(身も蓋もなさすぎです)。


で、その超兵器の実験のために星を一個爆破しましたら。


そこにいたはずの生き物が強化されて地球に向かってきましたよ、しかもR1号(兵器の名前っす)の放射能まで帯びていましたよと。
ちょっとくらい壊されてやれよ地球!
憎むことが出来ません、じゃねぇよ、100%被害者じゃん?!
逆恨みじゃなくて、極めて真っ当な恨みだよ、憎むか憎まないか迷うなよ、平身低頭して謝らんかーいっ!!


と、素で喚いてました、エキサイトしすぎです(我ながら)。
まあ、もちろん、結構可愛い系でちょっと鳥っぽく、ふわふわの毛を吐き出してるような見た目の印象のプラス方向がなかったとは言わないんですが。もちろん。
これがもし、アイロス星人(激プリ)だったら地球には滅びてもらうところです。
星を一個壊したんだから仕方ないじゃんなー。


というのは作中世界だからさくっと言えてしまえる側面もあるんですが。
まあ、ある意味で自分がやったことは自分に返ってきてもしょうがないというふうには思ってます、これもこれでかなり極論なんですけどね。
(恨みを晴らさせてもその後、彼らがもう一度繁栄できるわけではないのだし。)




というか、テーマだけを取り出してやたらと語りすぎですが。
骨子のような部分はともかくとして(見るからに)、演出に関しては正直やっぱり古いなー、と思う部分は多かったです。防衛隊員たちだったからともかく、全員がなんの疑いもなく兵器の発展を喜んでいたりとかね。
平成ウルトラだと、だいたい幾人かは疑問を出してくるわけだし(実際の展開)。
それ以外も、それはわかった上で、当面の開発をせざるを得ないという意見なのであって、なにも無邪気に喜んでいるわけでもない。喜んでいてもすぐに否定されるというのが多いパターンなんじゃないのかな。


ただ、そういう変化自体、「こういう」過程を通って来てるからなのだとしたら、それ自体を非難するのは違うような気もするんだよなぁ。


うーん、話自体も少しそうですが、私のこういう切り口も、多分あんまり健全なことではないんだろうな、と思うんですが(フィクションに向けるものとしては)。
半端な身ではしょうがない部分もあるんでしょうか。