第32話 怪獣使いの遺産

このほぼ直後に、ティガ28話≪うたかたの・・・≫を見てたんですが、なんか似てる。つーか正直に言うと「煩い」。
なんというのか、ストーリーの脇にまるで副音声のように思想が二重に被さって聞こえてくるんですよ。それがよっぽど性に合うか、よほど切羽詰まっているか(真剣であるか)、それかそんなことを感じさせないくらいに余所が立て込んでいる場合は有効にも働くのでしょうか。
どうしてもそうはならない。
まあ、奇麗ごとですわね、「だから」嫌い、とかは私は言いませんよ。
でもねぇ、なんだか手先で捏ね繰り回しているような印象は拭えず、ほんの幾つかの言葉は悪くはなかったものの。やっぱりなんだか絵空事のよーに感ずるのですよ。


そしてこれは、多分この回自体の問題ではない。


メビウス世界って薄々とそうは感じてましたが、個々のつながりが弱いんですよね。その分自由度が高く、そういうものに長けた書き手(脚本)の回では非常な力を発揮するものの、どっか一つでもズレると結構な違和感がある。
この辺はちょーどティガと逆じゃないかと。
ティガの話はどっちかというと紋切り型であることが多く(シチュエーションに幅がありますが)、ドラマに負っているものだからどっちかというと監督の差のほうが大きいんじゃないかなぁ。脚本が良く作用するのはほとんど、人情モノに限られるというか。




あのねぇ、面白くなかったんですよ。
んで、なんというのかなぁ、私は彼の、朱川湊人氏の本も読んだんですけれども、そして短篇の中の一つはかなり好きなんですよ。でもやっぱり、そう、なんだかこれはありえた結果であるような気がするんだよなぁ。
私はこの話には残酷さが欲しかった。
そして、くだんの作家氏はそれを振るうのに必要な能力があったんですよ。
けどどういうわけなのか、これは無理がない結果だという気がするんだよなぁ。


元の話は私見てはいないんですよ。
大雑把に話は聞いているのですよ、残酷な話なんですよね。
撮ったはずの、ウルトラマンを宿した青年の、家族(家族同然というか)らの「少年」に掛けられた同情の言葉すら削られた。CM前に無理に突っ込まれた救いの残るシーンが本当に唯一のラストまでの救いになったっていう。


関係者たち全員の気が違っていたのだとか。
その後、監督氏は干されたのだとか。


朱川氏の「残酷さ」ってよく考えたら見たら誰にでもわかるんだよね。
誰が見てもどう見ても残酷、そしてそれを描ききることによって、なんでか救いがあるよう見えるというそーいうスタイル。
無理だよねぇ、どう考えても今更。この時代に。


赤星さんに書いて欲しかったなぁ、あの人に、一見シンプルな美談にしか見えない。なんも知らない人間がぼーっと見てたら、ちょっと甘いよねぇ、子どもっぽいよねぇ、と笑わせるくらいの中に堂々とした棘っつーか毒を含んでいるというか。
そういう話にして欲しかったなぁ。
てゆか、私が書きたかったよ、この話なら(をぃ)。




んー、ただまあ、エピローグとプロローグは悪くなかった。
あれだけぽん、と「続き」として差し出されたらなんというのか褒められた気もする、つーか、節々の台詞はそんなに違和感はなかった。けれどそれを貫く軸というものは私には感じることが出来ず。
てゆか、どうなのかなぁ。。。


なんかねぇ、否定の言葉も上手く焦点を結ばないというか。


やっぱり、どうしても仕方ない、という言葉が頭を過ぎるんだよな...orz


帰ってきたウルトラマン』34話≪怪獣使いと少年≫の、えーと、30年後に当たるエピソード。なーんもしてないのに殺されちゃったお父さんの仇を取ろうと、「友好関係を結びに来たんだヨ☆」と空々しーことを言った宇宙人が来たわけですよ。
で、その人のことをリュウちゃんが撃っちゃうんですよ。
これ、叩かれてたけど、改造した怪獣を乗っけた宇宙人が唐突にやってきて、それを分散して探してる時の行動として間違っているかというとそんなことは。;


で、怪我をして人間の姿に変化してたものの。
血は緑、幼稚園児やら園長さん(昔の関係者に話を聞ーたとか)やらにやたらと説得されまくって(事情でも知ってるんですか、それともなんか悪い予感でもしましたか)、最終的にはまあいいや、みたいになって帰っていきましたとサ。
まー、お父さんの地球での生活を聞けたのは良かったかもね(美化済み)。


リュウちゃんとミライくん以外のGUYSとかメビウス君とか出てこなかったということで話を付けようや(待て)。いや、素でそれで話が成立するし。
あと、ゾアムルチは寝てたってことでいいじゃんな。
(特撮の時間制約は把握してたんかなー、この方。)