『風花 kaza-hana』

遡ってく回想シーンが良かったっす

『風花 kaza-hana』
監督:相米慎二
出演:小泉今日子浅野忠信
  /麻生久美子


なんか、、、女の描かれ方がなんというか。
いや、別にそれが悪いってんじゃないんだよね、小泉今日子さんは正しいと思うし(役名覚えてねー)、しかしちょいと出ただけの麻生さんの(3本目だけど役によって違うなぁ?! すっげぇ)登場シーンが足でわさっ、と男の寝てる布団を挟み込むって、いちゃいちゃシーンのあとならともかくなんか違うだろう。


一人でやるから見ててね、も、男と一緒に顔背けちゃったよ。
(彼は意味が違う、てか画面に写ってないよ。)


要するにまあ、えーと、男として役立たずの男の話らしいです。
いや、如何わしいそっちの意味で(どういう視点で捉えてんじゃい)。
なんかエリートっぽい感じの職があったそうなんですが、なし崩しに失いました、前者はただの酔っ払いな気がする(コンビニから勘定払わずに外出た、が泥酔状態、暴れてなければ事件化してないかも)。後者は女のプライドでも踏みにじったんだろうか、駄目なら駄目でそれなりに控えればよいものを。




良い話なんだそうですよ。
まあ、そう思いますよ。
そういう「良い」というのはまあ一通り、醜さとかどうしようもなさとかを描ききったあとでじんわりと沁み込んでくるべきのような気がするので正しいんだと思います(そうじゃない系のぽややん映画が好きなくせに)。


しかし、私には彼らの嘆きがよくわからんのです。
働けばそれなりに口に糊して生きることは出来るような気がするのですよ、ソープ嬢をしなきゃ生きてけないなんてぇ境遇に見えないんですよ。どうにもならんところに嵌まり込んだという状態が、私にはなんかわからんのです。


男として駄目なら別の道を探すか医者に行くなりするべきだと思うし。
酒が弱いのならそれをセーブして飲むことをすればいいですし。


私にはよくわからんのです。
たとえば小泉さんの、置かれた境遇に同情することは出来ます、時間を遡る形での状況は、その後の運命を知っていると物悲しい。
浅野さんの、どうにもならなさも、プライドのせいというならわかる。




ソープ嬢と男が出会いました。
男は職を失って、まあ恋人を失ってました。


男は大変に酒癖が悪く酔っていて。
二人してソープ嬢の故郷の北海道に行こうという話になって、寝て起きたらそのことを忘れてしまっていて、酔ってない時は酔ってない時でまた大変に嫌な人間性なので。まあいろいろ揉めました。


しかしまあ、なんもすることもないもので。
なんか流れでそんな感じになりまして。
要するにどうも、ソープ嬢は車としてのアシが欲しかったようですが、別にそんなものに頼らなくても帰れるんだと思うしな。なんかのきっかけが欲しかったというだけのことなのかもしれないな。




女の描かれ方は、まあぶっちゃけ醜く。
男は口を開けば悪態ばかりを付いていて、通りすがりの人間にまでかなり酷く殴られましたがほとんど誰も同情してくれません。てか、正直しつけぇ。


美しい道具立てつったら誰かが笑いますわな。
そんなじゃないですね、いい意味でもむろんですが。


この二人が北海道をたらたら旅をします。
男は煩いです、見た目はまともっぽいのに中身がひどいよなんかホントに!
映画的な「悪いオトコ♥」とかと根本的にズレてるよ?!
ソープ嬢は、うーん、なんてぇか、その、うわ。;
と思うシーンが一つ二つはあると思います、彼女が悪いんじゃないけど、引き寄せてるような気は、なんかした。それを言い訳にしちゃなんないけど。


キレイゴトでなく、本当にどうにもならないものが二人を取り巻いているのはわかんないでもなかったかな。それとあと、そこから抜け出したいと思っていることも。なーんか、なんとなくというだけだけどねー。




んで多分。


この映画の本質は「行くとこまで行き着いちゃったら案外楽だったかもー」なんじゃないかとか思ってみたりします。いや、楽とかではないわな。
凍るよーな寒さの中、薬を持ち出した女と。
多分、女よりかずっとそうしたかったのだろう、男のものすごい生への執着は前向きってのに相応しかったような気もします。


ああ、人がどうにもならないものにまとわりつかれることはありますね。
それが、本当は当人の心の中にしかないのだとしても。