ホラーっていうよりもぉ。

http://d.hatena.ne.jp/ma-asa/20060614/p1
あー、いつもわかりにくくてごめんなさいだ...orzぺこり
ASAさんて昔遊んでた人と思考パターンがちょい似てて、その人がほぼ私と同じ分野をカバーしてたもので(むしろ娯楽関係には二人して恐ろしく疎かった)、どーもその時の癖が抜けない。
ショートカットを間違えてしまうっぽいです。




てゆか、この場合「神」という単位で捉えると危ういのではないかと。
それは概念になってしまって、概念はどーしても個々人に属するので最終的にはケース・バイ・ケースとしか言えなくなる。
「神話」という単位で認識するべきなんじゃないかと思うんです。
複数の人間が関って初めて傾向というものが出来てくるとゆーか。一つの説にまでは絞りきれなくても、そんなに数はないでしょう。
学者先生ならともかくねー、素人にはそのくらいが妥当ですワ。


なんというのか、「神を語ること」を娯楽と認識する。


「神話」が存在する意味はひとまず置いておいて、「神話を語る人たち」がなにを目的としていたのかというと、多分楽しみなんだと思うのですわ。そーなると、トリックスターが存在することの意味も見えてくる、原始の存在の次くらいにトリックスターはあったんではないのかと今思ったんですが、そこは別に追求する必要もないかな。




次に整理整頓、なんてのは権力者なんかの都合目的によって行われます。
(これは別に推測とかでなく。)
なんで権力者に利用されるのかとゆーと、人口に自然に膾炙してっからです。それ以外に多分特に理由はない。


手が入ってない神話ってかなり少ないっすよー、そしてその間で語り部の存在が入れ替わってしまったり、そもそも複数の存在によって作られていた場合、奪われた場合、吸収された場合なんてのもあります。


特定の目的のために「トリックスター」を使うわけがなく。
善・強者・聖人となるわけです、そーでなきゃ、他人に言うこと聞かせられる理由付けになんないし。権力者は、事態を単純化したがる傾向があります。まあそのほーが状況把握が楽なんで。
んでも、そーなってくると娯楽としては弱いのではないのかと。
その辺の機微はむしろそちらにお任せします。




んで、勝手に「暴れ者」を作り(by民衆)。
しかし案外とそれも使えるってんで、「悪」的要素を膨らませて教化の中に組み込むも(by権力者)、それもそれで詰まんないので、今度はそれを引き摺り落として「人間」に引き寄せる、キャラクタ化が起こるのではないのかなーと。


いう。
あれ、なんで全部まとめちゃったんだろう( ゚ー゚)?




ホラーに関しては案外、産まれたそのままの時代を見たほうがいいような気がします、「犠牲者を笑う」というのはホラーの生まれた理由というよりは生まれたあとでの副次的な楽しみなよーな気もしないでもないですし。
あくまでメインはジェイソンでなくてはならない。
(ジェイソンとは限らないわけですが。)


んで、もう一つ思いついたのが、「戦争」を型写ししていたゴジラ
そのものに対して直接嘆くことが出来ない時に、その代用品のよーにして生まれてくるのではないか、阪神・淡路大震災の時に、子どもたちが「地震の再現を遊びとしていた」という話があるのですが、これは一種の≪箱庭療法≫。
悲劇の追体験をすることによって、感情のコントロールをする。


本当に苦痛に向き合うのが辛い時には、「治療」という言葉にも尻込みするよーな気がするんですわ、それはまず苦痛を認めた上ででないと成り立たないからです。
ならばそれは別の形で現れるのではないか。
娯楽も多分その一つ。
いや、もしかしたら、ループ状態になっている精神が、その解消の方法を求めて同じ状況を求める。なんてこともありえるのかもしれない。
とある時代の中で、多くの人が出口を求める、なんてこともあるのかもしれない、と仮定してしまうと、なんとなくどの辺り時代か絞られてくるよーな気もします。さて当たってっかな。


まあ一旦生まれてしまえば、「キャラクタ」なんスけどねー。
あれ、話題がループした。;




あーーー、、、楽しくないっす...lllorz
ウルトラマンの話がしたいぃぃぃっ、えぐえぐ。