「≪正義≫とはなにか」とはなにか? とはなにか。
http://d.hatena.ne.jp/gms/20060609#p2
要するに、こないだからやってる話の延長線上にあるんだけど上手くリンクしなかったんだろーと思うのですので、無理矢理拾っておくわけですが(失礼な)。
いや、もちろんgmsさんが元から持ってられる命題と思います。
そもそも私のもそっから来てるし、まず(gmsさんの)年表ありき。
まず「正義」があって。
それはまあ、単に物語りの仕組みというふうに認識して。
そこから「正義とはなにか」が生まれた。
これが正義への不信、そーして、その不信が積もっていったところに「≪正義≫とはなにか、とはなにか?」が生まれた、とゆーような流れなんではないのかと思うんですが。一応は裏返って、正義への信頼というか。
一応はソレっぽいものあるんじゃね?(半疑問形)
と、ゆーような感じなんではないのかと思います、それでもって、私と、id:ma-asaさんと、id:gmsさんがやってるのが、せいぎとはなにか、とはなにか、とはなにか、という。
肯定したいんだか否定したいんだかわからん立場なのではないのかと。
(一応順番で言うと正義の否定だけど、全疑問形という。)
私はあくまで禅問答をやりたいんじゃありません。
『シャンゼリオン』『クウガ』なんかは多分「正義とはなにかとはなにか」なんじゃないのかな、それでもって、その辺に引っ掛かって、そこから先に進んでないと私なんかは思ってます。
んでもって、その肝心の「正義」の正体はというと。
「13日の金曜日なフレディくんは、一体なにが不満で斧を振るったりするんですかー」というようなことではないのかと思います(学級会風)。
中身があっても困ります、いらねぇし。
本気で説明できる人も、この世にはいるのかもしれませんが、その能力は是非とも別のところに使って下さい、そこまで無駄遣いしなくてもいいです。
もっとも健全な答えが、「そのほーが面白いっしょ」。
(この辺をgmsさんはシステムと表現してられますが、同意見。)
この命題を、現実世界とリンクさせて、「正義」とは? と本気でやり始めてはいけない、のではないのかと思うのです。いや、物語りがいったん出来て、その物語りならば本気で信じる人がいてもいい。
けれど、作り手がもっとも信じてはいけないことなのではないか。
ただ、でも、現実世界を完全に無視したところにもやっぱり娯楽はありえないよーな気もしないでもないんですよねぇ。少なくとも継続しては。
いやだって、飽きられるじゃないですか。
ヲタはあんまり飽きにくいわけですけど、ヲタのくせに飽きやすい妙な人種もいるわけですし(私とか)。そもそもエンタテイメントを支えるだけの絶対数がおらんのです、納得しないと金も出さないし(ある意味で賢いから)。
んで、そーなると、「なんでフレディが斧振り回すと楽しいのかなー?」というところから始めないと案外ならないような気がするのですわ。
えーと、これをウルトラマン(とか)に、置き換えると。
「所詮、ウルトラマンが怪獣をぼこるのが楽しいだけのくせに、なんで正義で糊塗しなきゃなんないんですかー?」(大違い)
というわけで、私はイデオロギーが重要視されるよーになってしまったのは、案外と奇妙なことでもないような気がしないでもないです(結論)。直視したくなくて当然の感情と思いますコレ。
しかし問題としては、そんな話を直球に作られても受けないわけで。
いや少なくとも一般受けはしないわけで。
あくまでもエンターテイメントとしての「正義」、娯楽として始まった話の結論としては的がズレているわけです。
つーかぶっちゃけ、B級カルト。
えーと、そうなると、どこに重点を置くべきか(途方)。。。
やっぱり、なんていうのか「次は?」というところになるんじゃないのかと思うんですよ、てゆか多分エンターテイメントというのは常に間違ってるのかもしんないけど、すでに消費されてきたものに対してそんなこと言っても無駄なわけで。
今が、少し過去が不健全とも思わない。
つーか娯楽って、不健全であってこそで。
健全な娯楽であらなくてはならない、というのも別の意味で不健全で。
しかし、不健全でありすぎてもいかん、というのもありかなと。
いやまあ、多分別の話で回収します(オチなし)。